♪ 自己を孤に自我を我慢に押し込めてツンデレ猫の僕(しもべ)となる僕
絵本作家のごみ・たろう(五味太郎)さんは時どき俳句を詠むらしい。人に見せたりはせず、自分のために、まさに自身の気分をふっと十七文字あたりにまとめるというスタンス。
「アウストラロピテクスにて夜の明ける」
随分前に作ったもので、進化論だとか人類学などに興味があって、ダーウィンだとか今西錦司などの本を手当たり次第に片っ端から読んでいて、気が付いたら夜が明けていた、という句だとか。
人が何と言おうがかまわない。久し振りに読んでも、うん、これはいい句だと。自分でそう思っている。無季の句で、西東三鬼の句の在り方に近いのかもしれない。
NHKテキスト「俳句」9月号 表紙絵
生業の絵本製作も、その呼吸は俳句作りと何も変わらない。自分のための絵本。子どもがどうの読者がこうの、ほとんど考えてはいないという。ちょっとは気にしている気配はあるけれど、所詮、他人のことは良く分かんないもものな、あたりで括っているとか。
「ところが、そんな絵本がかなり受け入れられているという現実があります。それも国内、海外を問わずけっこう人気があるだ。有難いことです。自分のために描いた絵本がなんとなく受け入れられている。これはかなり稀な現象のようにも思えるし、いやいや、なにしろこの世に人間は限りなく多いから、僕と趣味の合うやつもけっこういるんだ、よかったね、という当たり前のことにも思えます。」
売れっ子作家だから言えることかもしれないし、逆にこういうスタンスだから受け入れられているってことかも知れない。このスタンスは重要だが、しっかりとしたバックボーンがあってのこと。透徹した思想と洞察力があってこそ、作品の何気ないところに表れて人を惹きつける。
俳句のテキストに寄せたエッセイなので、読者にその辺を意識して書かれているのでしょう。俳句は17文字しかないので、底が浅いと様にならない。抽象的な表現では伝わらないし、かといって少ない文字数で完結させるのは至難の業だ。でも、自分のために作ればいいんだよと。
「アウストラロピテクス 」(Australopithecus、'南部の猿'、'南猿'の意) は、霊長目(サル目)ヒト科の絶滅した属であり、化石人類の一群。
アフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 - 約200万年前に生存していたとされる、いわゆる華奢型の猿人である。頑丈型の猿人(200 - 120万年前)は、以前はアウストラロピテクスに含めていたが、最近ではパラントロプスに分類することが多い。whikipedia
文字数が14文字多い短歌。多くても言いたいことをすべて言えるわけではないし、言えるからといって言えばいいというものでもない。
コツと要領を身に着けないかぎり話にならない。自己満足でいいと思っているうちはいいが、第三者に披瀝するならそこそこのレベルになっていと恥ずかしい。“めくら蛇におじず” のうちは平気でいられるが、目が見えるようになると路頭に迷うことになる。
凡才が山へ入って坂道を上り、アップダウンを繰り返して峠を幾つも越え、ようやく頂上にたどり着いたと思ったらもう残り時間が・・。それでも「好きという才能」と「続けていける才能」がれば、それはそれで幸せなことだ。
そのままベッドに寝ていればいいものを、主がいなくなった布団から抜け出してやってくる。そして、この狭い膝の上で寝ようというのだから困ったものだ。
しかし、それを無下に断ることも出来ずに膝に乗せてやる自分もどうかと思う。
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