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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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2024.01.30
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カテゴリ:読書

♪ 好奇心に現生人類旅発ちぬもっともっとにもっとを重ねて


 人類は、およそ500万年前、東アフリカに誕生したといわれる。その後、アフリカを飛び出した人類は、百数十万年前、アジアに広がり、極北の地を経て南米大陸の最南端、パタゴニアに達している。

 基本的には熱帯性の動物であるヒトは、自らを太古のアフリカから解き放ち、アジアを経て、広大な新大陸へ旅をした。この重要な旅はコロンブスの航海をはるかに凌ぎ、人類がこれまで体験した中で、最大級の冒険にランクされている。この偉業を超える人類の旅は、他の惑星に移住するまで再現されることはあるまいといわれている。

 このアフリカから南米大陸に広がる5万キロに及ぶ、壮大で画期的な人類の大遠征を、英国生まれの考古学者ブライアン・M・フェイガソンは〈グレートジャーニー〉と呼んだ。

 因に、コロンブスがアメリカ大陸に着いた時には、地球上の3分の2にモンゴロイドが住んでいたと言われていて、それがっという間に白人が支配してしまったのだ。



 1990年、人類拡散の〈グレートジャーニー〉を逆ルートから、自分の脚力と腕力だけでたどる〈グレートジャーニー〉を計画。そして実行したのが「関野吉晴」だ。
 南米最南端パタゴニア・ナバリーノ島からビーグル水道をカヤックで漕ぎだしたのは1993年3月5日。ここを出発点として、アメリカ大陸を北上、ベーリング海峡を渡り、ユーラシア大陸を横断して、人類誕生の地であるタンザニア・ラエトリに到着したのが2002年2月10日。足掛け10年の旅。



 その壮大な旅に向かうまでの間、一橋大生として探検部を創設し、アマゾンに行き来して、南米だけで実質9年滞在。その間、アマゾンに行くには医者になることが一番都合が良いと、紆余曲折を経て九大の医学部へ27歳で入り、アマゾンへ行き来しながら33歳で卒業し医者に。44歳になってからこの大航海に出ている。

 ただ単にルートを踏破するのが目的ではなく、それぞれの地で寄り道しながら現地の人々との交流を楽しみながら、その地と人々の生活を体現することに重点が置かれている。

 私と同じ歳だと知ったのは、この本を読んでからのこと。
 テレビで〈グレートジャーニー〉の放送が有り、彼の名前はその時から知ってはいた。しかし、私も脱サラして嘱託の身から解放され、さあこれからという時期だったこともあり、あまりテレビなど見る余裕がなかった。その上、何となく “テレビ局の企画番組” ぐらいに思っていたので関心が薄かったのも確か。


行く前、最中、その後と時間軸に沿って・・。最後は4人の応援団の話で結ばれている。

 ここに出てくる人々はアマゾンやアステカ、アフリカやアラスカなどを訪れ、狩猟採集、牧畜に農業など、その実態と歴史を研究しているその道のオーソリティーばかり。いかに原住民が豊かなこころで生活しているか、そしてまた、サルを通して人間の本質を研究や、「われわれはどこからきて、どこへ行くのか」を問い、言わずもがなの共通のテーマとなっている。目からうろこの話が満載で飽きることがない。



ONYONEより

 以前、ここにも書いた民俗学者・宮本常一の主宰する日本観光文化研究会」-観文研-に、彼も所属していたことを知った。さもありなんと納得し、70年代の熱き日本の若者を、自分を含めて改めて再認識している。

 高度成長期の日本に飽き足らず、“開発という破壊” を訝しみ、“寄らば大樹の陰” を嫌い、“滅私奉公の名残の社会” を忌み、“自分の意思で判断し行動する”ことを旨とし、学歴なんかくそくらえと、“独立独歩の許される時代の到来” を賛美していた。

 南こうせつの「神田川」を聞く前の1970年、万博会場で3カ月(5~7月)バイトして資金をかせぎ、日本中を放浪していたのは21歳の春だった。守口市のアパートでは、3畳一間の裸電球に机の変わのリンゴ箱、寝袋で過ごした日々が懐かしい。



関野吉晴
Webナショジオ 科学者と考える(地球永住のアイデア)


パタゴニアのチャルテン山(フィッツロイ峰)。レンズ雲に朝日が当たり、
濃いピンク色に染まった。(写真提供:関野吉晴)


モンゴル草原で出会い、今も付き合いを続けている遊牧民一家。


アマゾンのヤノマミと。レアホ(饗宴)での踊りを前に化粧して待機。


〈グレートジャーニー〉の後の2004年、日本人がどこから来たのかをテーマとする〈グレートジャーニー 日本人の来た道〉をスタート。
 日本人の祖先がこの列島にやって来たとされるルートをたどる旅を敢行。まる1年かけて、シベリアからサハリンを経て北海道に上陸。2005年1月27日には氷結した間宮海峡を徒歩で横断、同8月10日には宗谷海峡をシーカヤックで渡った。その後、チベット、中国、インドネシアを経て朝鮮半島を縦断し、日本に向かう途中でこの対談は終わっている。



 1972年3月に最初のアマゾン遠征から帰国した僕は翌年、再びアマゾンに向かいます。ペルーの英文誌で「文明を避けて暮らす先住民がいる」と書かれた記事を読んだのがきっかけでした。飛行機に乗れば、世界のどこへでも行ける時代に、未踏の地がまだある。心が躍りました。読売新聞 企画・連載「時代の証言者」マチゲンガ族との交流は、寝食を共にして3か月にも及ぶ。


マチゲンガ族と一緒の一枚。


 アマゾン全域をゴムボートで下ったりし、南米だけで実質9年滞在している。一々関心することばかり。原住民とのコンタクトは手慣れたもので、アマゾンでもアンデスでも「泊めてください、何でもしますから」といって仲良くなってしまう。同じものを食べ、狩りにも同行し、同じ生活をする。そこから見えて来るものは、人間の本質と現代文明の影の部分。

 南米は多様性があって、アマゾン、アンデス山脈、砂漠、パンパ、パタゴニア、ギアナ高地など世界の一番の地形が全部そろっている。アンデス高原の快適な暮らしと、チベット高原の厳しさとの対比など面白いし、ボノボはチンパンジーよりも人間に近いとか、ー40℃でも慣れることが出来るとか、日本列島は緯度の幅が広くてパリから北アフリカまで入るとか、アイヌと沖縄人は遺伝子レベルで似ているとか、シベリアのタイガの荒廃がすさまじいとか・・・、どのページを読んでもとにかく面白い。

 私は、1度ならず2度借りて、延長もしたくらいだ。書きたいことはたくさんあるが、とても書ききれるものではない。実際に手にして読んでもらうしかない。


 関野 吉晴(せきの よしはる)
 1949年東京都墨田区生まれ。武蔵野美術大学教授(文化人類学)。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。 1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3000キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発し、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。1999年、植村直己冒険賞受賞。


 グレートジャーニーを最初は「人類400万年の旅」と言っていたが、500万年前の骨が見つかったり、チャドで700万年前の骨が発見されたりしている。
「1967年、ケニアの人類学者リチャード・リーキーはエチオピアのオモ川周辺で2つの頭蓋骨(部分)を発見した。それが2005年に、19万5000年前のホモ・サピエンス(現生人類)のものと判定された。当時はまだ、人類発祥の地は約20万年前のアフリカ東部と考えられていた。しかし2017年には、西部のモロッコで出土した頭蓋と顔面、顎骨を含む現生人類の化石が31万5000年前のものと判定されている。
 そのため今日では、現生人類の故郷は特定の地域ではなく、アフリカ大陸のあちこちにあると考えられている。フランスの化石人類学者ジャン= ジャック・ユブランに言わせると『エデンの園は、おそらくアフリカそのもの。ものすごく広くて大きい』。」
私たち人類はいつアフリカ大陸を離れたのか(東洋経済 ONELINE)

 
 ミトコンドリアの遺伝子研究ができるようになり、新たな事実が発見されるようになっている。






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最終更新日  2024.01.30 11:20:00
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題しました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
◆2017年10月10日より つれずれにつづる「みそひともじ」と心のさんぽに改題しました。
◆2019年6月6日より 「歌とこころと心のさんぽ」に改題しました。
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