♪ 鞭に血を流され心洗われん智の巨人なる鶴見俊介の
鶴見俊輔なんか読むようなタマでもない私が、ふと読んでみたくなって図書館で借りて来た「新しい風土記へ」。
9氏とともに、歴史について、戦争について、言葉の力・表現について、自らの
依るところについて、縦横無尽に語り合う。贅沢な思索のひととき。
無知蒙昧のわたしには知らないことだらけの内容ではあったが、智の大家たちの生きざまと覚悟、その知性の背後にある諸々のものに、(多少なりとも)触れることができ、共感するものがあった。
中身が濃いのでかいつまんで解説など出来ないが、知らないということの愚かさというものを痛感させられる。文を引用して知ったかぶりで書き述べることはさすがに憚れるので、具体的な内容には触れないでおきます。
特に最後のⅢ章「聞きたかったこと、話したかったこと」が興味深かった。─「思想をつらぬくもの」池澤夏樹 ─
鶴見俊輔が、試験の成績がいいのと頭がいいのは別問題だと言い切れるのは、不良少年で小学校を出る時はビリから6番目だったのが、15歳でアメリカに渡り、3年後にはハーバード大に入って1年で上位10%に入る優等生という、破格の実績があるから。それが、親父が「一番病」ということもあって、劣等感からうつ病になったりしている。
しかし、「結局、不良少年だったことが、自分を支えている。学校を二度も放り出され、小学校しか出ていないことが、私を支えてきた。」と述懐している。まあ、名門の出であることに変りはないし秀才であることも事実だし、あまり指針にはならない・・。
池澤夏樹は、「小学校に入ってから大学を中退して、一度ギリシャへ出るまでの間、ずっと何か居心地がが悪いと思っていた。」その後もふらふらしていて、ついに組織というものになじまないと気付く。
「同人誌も作らないし、結社もつくらない、クラスメートとも親しく遊ばない。要するに一人でいる限り、何とでもなるが、誰かと何かをやろうとすると、およそだめである点において、僕は非常に非日本人的な性格なんです。」 ああ、俺と同じだ、同類がここにいる・・。
祖父が東大法科、父が東大文学部であるにもかかわらず、ひたすらそういう部分から逃げ続けてきたという。30歳で初めて海外に出て、太平洋の小さな島へ行ったとき、ものすごい解放感があった。これでやれると思った。それ以来、日本をずっと出たり入ったりしている。
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セルフメードで生きていく。鶴見「遊びがあるからこそできることがある。たとえ眠っていても、自分を支えて前に進めてくれるものが、想像力である。」
明治以降の日本の教育システム、それこそ軍人でさえ学科の成績で決めていくということに、大きな問題意識があり、それがこの国のあり方にも及んでいく。
「夜郎自大」なんて言葉に初めて出会った。”自分の力量を知らない人間が、仲間の中で大きな顔をしていい気になっていること” と、辞書にある。
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