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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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2024.05.16
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カテゴリ:読書

♪ 直線のつづく日高の海沿いをヒッチハイクせし半世紀前


 安静にして過ごすと言っても微熱があって体調は万全じゃあない。出来ることと言ったら本を読むことぐらいだ。
 最近、目が悪くなって小さい字が読みにくくなった。カミさんの拡大鏡を借りて読んでみると、おお読みやすいじゃないの。眼鏡を掛けている上に重ねて使うので使い勝手は良くないが、目が疲れないのがいい。

 ちょうど分厚い本を読み掛けていて、あまりに長いので貸出期間を延長してもらったものがある。ゆっくり読ませてもらおう。


明治初年、北海道の静内に入植した和人と、アイヌの人々の努力と敗退。日本の近代が捨てた価値観を複眼でみつめる、構想10年の歴史小説。装画:山本容子 627ページ数もある。

 この連載時期は朝日新聞を取っていたはずだが、新聞小説にはまったく興味がなく読んでいない。連載が有ったことすら記憶にもない。

 3世代前の御一新後、北海道へ入植した人々とアイヌの人々との美しくも悲しい物語。

「北の零年」が、明治3年5月13日(1870年6月11日)に起こった庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島藩・淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家と家臣の人々の物語であるのに対して、この「静かな大地」はほぼ同じ時期の徳島藩の陪臣(家来の家来)である淡路衆の話である。徳島藩に疎んじられつつも反骨と気位をもって気高く、知性をもって生きて来た人々の物語だ。

 立場が違う故に、描かれている内容が違う。「北の零年」は見るには見たがあまりいい映画とは思えなかったのを覚えている。朝日新聞の連載が終わった2年後に制作された映画で、そのいきさつはWikipediaに詳しく書いてある。


 朝日新聞の連載小説(2001年6月~2002年8月)を単行本化

 池澤夏樹の真骨頂。構想10年とかで克明に調べ上げ、史実に基づいて書いてあるのはもちろん。アイヌの人々の思想と哲学に共鳴し、心酔した主人公・宗形三郎の生きざまが、娘が思い出を語る形で書かれているて、近代以降の文明批判としても優れたものになっている。


    

 時代に翻弄され足掻いてもどうしようもないものに果敢にち立ち向かていく。主人公の思想・思考と和人との葛藤や、家族とアイヌの生活のなかで変化してゆく情勢。北海道開拓の黎明期に信念を貫き通した純真無垢な男の生きざま。晩年の人間としての矛盾や、自我を通していくことへの心の揺らぎが胸に刺さる。

 こんな長編になるとは思っていなかっただろう。書いても書いても書ききれない。それは作者・池澤夏樹の思いでもあるだろう。あらすじは書かないでおくが、最後に2編の短い物語が載っているので、その1編を載せておきます。これを読めばこの本で作者が書きたかった事の幾分かは分かると思います。民話の体裁に仕立てた池澤氏の創作のようです。

「熊になった少年」
 昔、あるところに少年がいた。
 黒い目のきらきらとした、心の気高い、敏捷でしなやかな身体を持つ少年であった。
 少年の一族は狩りを業とした。
 少年の祖父も父も伯父も叔父も、その朋輩たちもみな熊を狩って暮らした。男が獲った熊を持ち帰ると、女どもは熊の皮をなめし、肉を干し、熊胆(くまのい)を作った。その合間には山に行って木の実や草の根を採った。
 だが、彼らは心正しいアイヌではなく、ねじくれたトゥムンチの族(やから)であった。
 彼らは熊を獲って、熊の魂を送らなかった。
 本来ならば狩りをする者は獲物の魂を手厚く神の国に送る。獲物に向かって、自分のような者の手にかかってくれてありがとうと礼を述べ、自分たちの一族の腹を満たしてくれてありがとうと述べ、その魂が無事に神の国に帰って、またいつか多くの肉をまとってやってきてくれるよう心を込めて祈る。それがアイヌのやりかただ。
 だが、少年の一族はアイヌではなくトゥムンチだったから、そういうことを一切しなかった。彼らは、熊の方が自分たちのところに来てくれるのだとは考えなかった。彼らは自分たちが強いから、だから熊が獲れるのだと信じていた。熊を獲った後では送りの儀式などはせず、負けた熊を蔑み、勝ち誇って家に戻った。
 小熊の扱いはもっとひどかった。春の母熊を獲ると、子熊を連れて帰る、そこまではアイヌと同じだ。だが彼らは子熊を大事に育てはしなかった。かわがって、一番よい食べ物をやって慈しんで育てはしなかった。彼らは子熊に残り物ばかり与えて、虐めて嬲(なぶ)り、半端に育てて、大きくなると殺して肉にした。それに際していかなる儀礼も行わなかった。
 アイヌならばこんな無理無体な話は聞いたことがないと憤慨するだろう。熊に対してこれほど礼を失したふるまいはないうと言うだろう。だが、彼らはアイヌではなく、心のねじれたトゥムンチであった。
 従って熊が自ら彼らのところに来ることはなかった。彼らの手にかかって神の国に行こうと来ることはなかった。彼らは奸計を用いて熊を欺き、獲物とした。彼らの狩りの知恵は奸知と呼ばれる知恵であった。
 少年はしかし、このようなふるまいを疑わずに育った。なぜならば、少年の祖父も父も伯父も叔父もそうして狩りをしたから。
 少年は自分が偉大な狩人になる日を待った。
 春のある日、叔父たちが熊狩りから戻った。子熊を一頭連れていた。
 少年はその熊の世話を命じられた。世話といっても大したことはない。檻に閉じこめて残り物をやっておけばいいのだ、といわれた。
 言われる通り少年は残り物を子熊のところに運んだ。何もない時は水だけ飲ませた。子熊は痩せてみじめだったが、少年はそれでいいのだと思っていた。
 時おり大人たちが通って熊を虐めた。檻の間から棒でつつき、熊が怒って棒に噛みつくと笑った。熊は愚かだから棒には噛みついても棒を持つ手に噛みつくことを知らぬと言った。その後でさんざん熊の頭を殴った。
 少年はそれを見ているうちに心に不思議な思いが湧くのを覚えた。哀れみのような、憤りのような、悲しみのような思いだった。熊に対してこんな思いが湧くとはおかしいと思った。トゥムンチの言葉に情がが移るという言いかたはない。
 やがて子熊は痩せたまま大きくなり、殺された。少年は悲しみを覚え、それを隠した。自分は父や叔父と違って心が弱いのかもしれないと考えた。偉大な狩人になるためにはこの心の弱さに克たなければならない。しかし殺された熊への思いはなかなか消えなかった。
 叔父たちについて熊狩りに行く日が来た。少年はまだ弓矢は持たせてもらえず、長い棒を持って後からついて行った。
 叔父たちは山の中をすばやく走りまわって熊の足跡を探した。湿った土の上に新しい足跡を見つけ、こっそりとそれを追った。
 やがて遠くに熊の姿が見えた。若い木々と笹の茂る間に黒い姿が見え隠れsた。とてもとても大きな、強そうな熊だった。
 叔父たちは風を確かめた。風は横から吹いていた。自分たちの匂いが熊に届くことはないと信じて、足を早め、間合いを詰めた。
 屋の届くところまで寄って射ようという心づもりだったのに、いきなり風が背中に回った。
 熊は何か知らぬ匂いがするので、立ち上がって風を嗅いだ。そして、遠くにいる人間に気づいた。こちらに向かって走りはじめた。
 叔父の一人が矢を射た。矢は外れた。もう一人の叔父が矢を射た。それも外れた。熊は猛って向かってくる、マキリやタシロを抜く暇もなく、叔父たちは大きな熊に殴り殺された。
 次に少年の方を向き、寄ってきて、立ち上がった。少年は自分も叔父たちのように殺されれるかと思って身を縮めた。
 しかし熊は向かってくるわけではなく、ただ少年を見ているばかりであった。少年もじっと熊を見た。怖いと思う気持ちが失せていた。
 やがて熊はわずかばかりの首を動かして、従いてこいと合図し、歩き出した。少年はその後を追って歩いた。
 山を二つ越えて着いた大きな熊の巣穴に二頭の子熊がいた。子熊は少年を見て毛を逆立て、うなり声をあげた。しかし母熊がたしなめるとおとなしくなって、少年に近づき、匂いを嗅いだ。
 その日から少年は熊たちと一緒に暮らした。
 母熊が獲って来た食べ物を子熊と分けて食べる。筍などは自分たちでも掘る。夜は兄弟とくっつきあって暖かく寝る。
 昼間、母親がいない時、子どもと少年は巣穴の近くで転がり合って遊んだ。熊の遊びは乱暴だから、少年はよく兄弟に引っかかれた。すると。その傷の跡からは黒い毛が生えた。少年の身体は傷だらけになり、そこから生えた毛で体がふさふさと覆われた。身体は丸っこくなり、顔も変わって鼻面伸び、少年は熊になった。
 母親は三頭の子を分け隔てしなかった。少年は人間だった頃のことを次第に忘れ、すっかり熊の心になって兄弟と一緒に暮らした。山から山を歩いて愉快な日々を送った。
 秋になった。母熊と三頭の子は川に行って鮭を獲った。川の中に入って遡上してくる鮭を長い爪で引っかける。岸へ上がって、鮭を足で押さえ、まず内臓と筋子を掻き出して喰う。その後で身を食う。また川に入って鮭を獲る。
 秋の終わりには鹿を獲ってたらふく喰った。朝から晩まで木の実を喰った。そしてよく太ってから、穴に入ってうつらうつらと冬を過ごした。
 春になると、母親はは子供たちを追い出した。もう一人前なのだから独りで生きて行けと言って、遠くへ追い立てた。戻って甘えようとすると、したたか殴られた。
 元は人間の少年であった子熊は兄弟とも別れ、山の中で独りで生きた。大人の熊になった。
 ある日、熊は人間の男に会った。乱れた風の吹き募る日で、匂いに気づいて逃げる間もなく男と対峙していた。殴りかかろうとしたが、そこで一瞬だけ気遅れを感じた。男が矢を射た。
 矢は熊の右肩に刺さった。
 男の射た矢が右の肩を射抜いた時、熊の身体に異変が起こった。
 黒い毛が全身からはらはらと抜け落ち、丸っこい身体は細くなって、顔も変わり、熊は人間の若者に戻った。
 その右の肩には矢が刺さり、血が流れていた。
 若者は傷を押さえて立ち上がり、矢を射た男の方を見た。そして、ほんの少し前、熊であった自分がこの男に殴りかかるのをためらった理由を覚った。男は若者の父親だった。
 父親の方もこの若者にかつての息子の面影を見い出した。
 二人は連れだってトゥムンチの村に戻った。
 やがて肩の傷は癒え、若者は熊として暮らした日々のことををみなに語った。
 そして、熊を獲った後では、熊の魂が間違いなく向こう側に行けるよう、送りの儀礼を行ってほしいとみなに頼んだ。
 だがそれを聞いた人々はあざ笑った。自分たちはトゥムンチだ。そんなアイヌのようなことができるかと言った。自分たちには力がある。熊などこちらから見つけだしていくらでも狩ってやる。
 そう言って今までのように熊を狩り続けた。
 熊の魂は宙に迷ったけれど、若者はどうすることもできなかった。
 若者はトゥムンチの村を出た。しかし行くところはなかった。
もう熊の身体ではないのだから熊たちのところには戻れない。結局のところ自分は熊にはなり切れなかった。父の矢で人間に戻されてしまった。
 若者は山の中で一人で暮らした。毎日、どこかで狩られているかもしれない熊の魂のために送りの儀礼を行った。
 熊の姿を見ないまま儀礼を行うのは心許なかった。一人で暮らすのは寂しかった。
 寂しさは積もって悲しみになり、悲しみは積もって絶望になった。若者は死を願った。
 一部始終を見ていた神々は、若者の魂を若いまま迎えてやることにして、その旨を伝えた。
 若者は高い高い崖の上に行って、身を投げた。
 その身体は大地に当たって砕け、やがて朽ちたけれども、魂は正しき者の国に生まれ変わった。
 それでも、吹雪の夜には、熊になりきれなかったわかものの嘆きの声が聞こえると人々は言う。
 トゥムンチは今も送りの儀礼をしない。







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最終更新日  2024.05.16 18:27:50
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◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
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