♪ 選択を積み重ねきてこの出会い数かぎりなきものの一コマ
次男が5年お付き合いしていた彼女と今年の2月に入籍し、結婚式はせず写真だけのウェディングをした。今年12月で38歳となる。ずいぶんのノンビリ屋さんで、世間体など気にしないマイペースな性格。正式に紹介されたのが昨年の11月。それも何の前触れもなく突然だった。その時のことがブログに書いてある。
「小さな結婚式」という今風のやり方で、挙式も上げず証拠写真だけを残してのタイパにエコの超コスパ。余分な経費など掛けるのは勿体ないと思うのは親譲りかもしれない。
何せ自分たちの結婚式は布池の教会で式を挙げ、そこでの披露宴は親戚・来賓招待して「茶話会」という形ので済ませてしまった。そのすべての費用が10万円を切って、スタッフが「こんな料金で出来るんですねぇ!」と驚いていたくらいだ。1969年のことで、友人たちは行きつけの音楽酒場を借りての会費制だった。
そんな話も聞かせていたし、派手なことは嫌いという二人にとって、時代がピタリとマッチしたとも言える。○○家と○○家の云々というのは昭和までのこと。核家族化が進んでいる今は結婚式も、葬儀も小さくなる一方だ。形式的なものがどんどん淘汰されて、真髄の部分だけに心が注がれる。それで良いと思う。
撮影中のスナップ撮影はOKが出たので、フラッシュ無しで自由に撮らせてもらった。この日は初顔合わせとなる二人の両親も加わっての写真も何枚か撮影。
当然、ここは挙式も披露宴もできるメニューも用意されているが、昼食は八事の和風レストランを予約してくれていた。
撮影を終えて着替えをしている間、初対面のご両親と自己紹介するちょっとした時間があった。緊張気味ながらもゆっくりと話しが出来、ランチの時にはもうお互いが打ち解けてリラックス。6人がおいしい和食を食べながら楽しい時間を過ごすことができた。
義父さんは私よりも一回り若い。なかなか面白い方でけっこう話好きのよう。大阪の門真市出身と聞いて納得だ。私は大阪万博の会場でバイトをしている時、守口市に三畳一間のアパートを借りて3カ月間通っていた。そんな私にとって、大阪は青春の1ページを彩る思い出深いところ。大阪好きの私はまた義父さんとゆっくり話がしたいと思った。
トヨタ車体で車の設計を担っていたらしいのでカミさんが「車がお好きなんですねぇ?」と水を向けると「いえ、車は好きじゃないんです」と意外な言葉が返って来た。「私は本当は飛行機の整備士になりたかったんです。」とにかく飛行機が好きで、日本中の自衛隊の基地を訪問しては飛行機を眺めるのが趣味で、航空ショーなどにも家族でよく行っていたらしい。
私が茨城生まれだというと「茨城には航空自衛隊 百里基地がありますね。行きましたよ。」と即座に返って来た。「日本全国に基地はありますからねえ。」と、飛行機に関することなら一晩中でも話が尽きない感じ。
義母さんも話好きのようす。打ち解けての会話は途切れることなく、あちこちに話題が飛んで楽しく時間が過ぎてゆく。対面している間ずっとどこかでお会いしたことがあるような気がしていた。お嫁さんの真衣ちゃんに初めて会った時も、初対面という感じがなくてずいぶん前から知っているような親近感があった。穏やかで媚びたり変に遠慮したりすることがないごく自然体なところが、親子の共通点なのかもしれない。
私は無口な癖におしゃべりで、心を許せる相手とみるとついついしゃべり過ぎてしまうところがある。どんな印象を持たれたのか分からないけれど、こちらが良い印象を持てたということは相手も同じだろうと勝手に思い込んでいる。
いつか機会を見て築90年以上の我が家(私が先に逝くか、家が先か分からない)に来ていただいて、話のつづきをしたいものです。
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