♪ 刻々と死に近づいてゆくゆうべ深層およぐくじらを想う
図書館で富岡多恵子の本を検索していたらこんな本がヒットした。河合隼雄の対談集で、その対談相手5人が興味深い人ばかりだったので、迷わず借りて来た。
「虚構と現実の接点で(筒井康隆)1990・10/人間はどこへ向かっているのか(L・ワトソン)1988・7/死の臨床から(K・ロス)1985・5/ジェンダーと文学表現(富岡多恵子)1990・11/人間を超えたものの存在(遠藤周作)1985・10」それぞれ、夢・儀式・死後の生命・性差・日本文化などについて語り合っている。
河合隼雄(かわいはやお)1928年~2007年。兵庫県生まれ。ユング派臨床心理学の第一人者。京都大学理学部卒、京都大学名誉教授。国際日本文化研究センター所長、文化庁長官を務める。独自の視点から日本の文化や社会、日本人の精神構造を考察し続け、物語世界にも造詣が深かった。
著書に、『無意識の構造』(中央公論社)、『ユングの生涯』(第三文明社)、『影の現象学』(講談社学術文庫)、『昔話と日本人の心』(岩波書店、1982年大仏次郎賞)、『明恵 夢を生きる』(京都松柏社、1992年新潮学芸賞)、『こころの処方箋』『猫だましい』『大人の友情』『心の扉を開く』『縦糸横糸』『泣き虫ハァちゃん』、『河合隼雄著作集』(岩波書店)など。
訳書に、ユング『人間と象徴』(河出書房新社)、『ユング自伝』(共訳・みすず書房)ほか。 |
筒井康隆(小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。小説「虚人たち」で泉鏡花文学賞など受賞歴多数。「時をかける少女」「文学部唯野教授」ほか。2002年紫綬褒章受章。執筆活動のかたわら、舞台、連続テレビ小説などに出演。日本芸術院会員。1934年9月24日 -) 読んだことないが、文壇のカリスマ的存在で矢鱈に幅が広くて荒唐無稽だったり、文学とひとことでは言え表せないハイレベルの作家ということぐらいは知っている。対談を読んだ今、「文学部唯野教授」なんて読んでみたいと思っている。
ライアル・ワトソン(イギリスの植物学者・動物学者・生物学者・人類学者・動物行動学者。 1939年4月12日 - 2008年6月25日) ずいぶん昔に「風の風物詩 上・下」を読んでいて、その面白さに虜になってしまった経験がある。とにかく行動範囲が広く世界中を歩き回って、自分の目で見たものを自分の言葉で表現する。
対談のコミュニケーションの話しの中で、木と木がお互いにミュニケーションしているとい話が出てくる。細かいことは省きますが、昨年だったか、NHKの特集番組番組で「そういうことが分かって来た」と、最近の発見のように放送していた。この記事は1988年のもので、36年前にはすでにそのことは知られていたわけだ。
キューブラー・ロス(アメリカ合衆国の精神科医。1926年7月8日 - 2004年8月24日) 名前は、臨床患者の体験を研究している女性の医学博士として知らない人はないくらいの人。体外離脱などの研究所として有名なアメリカのモンロー研究所とセットで記憶している。
富岡多恵子(詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。1935年7月28日 - 2023年4月8日) 小説家の車谷長吉が本当の小説家として、3人の名(小川国夫・松谷みよ子・富岡多恵子)をあげているうちの一人。詩人だったが小説家に転向している。男と女、家族、ジェンダーなどについて語り合う。
遠藤周作(小説家。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。1923年3月27日 - 1996年9月29日) この中でもっとも興味深く、面白かった。
臨床心理学を研究し、実際にカウンセリングなどを行っている河合氏は、人の話を良く聞くことが重要だと言われているがほとんどが表面だけのことしか聞けていない。重要なのはその背景にあるものであって、現象として表に現れているものだけで判断してはいけないという。
子どもが苛めをしたり、万引きをしたり、親を鬼婆と罵ったりしても、それは表面的なことであって、単純に先生や学校、親や環境が悪いというようなことで済ませられるものではないと。
「私の父は変なおやじでした」と言われたときに、ああお父さんが悪いというような判断をしてしまうと、そのところに固定してしまう。「私のお父さんは、こんな嫌なやつはいない」と言われた時に、そうじゃないかもしれない。言われたこと+「かもしれない」という方を聞いていないといけない。人の話を聞くということがどんなに大変か。
かといって相手の苦しみに同化して、引っついてしまってもだめで、近くも遠くもない距離をとっている必要があると。
*学校にカウンセリングの人を配置したりして、「問題のある子どもの話しをよく聞く」ということをしていても、子どもは「ぜんぜん分かっていない」とシラケている。それはただ表面的なことを聞いているだけで、深層の心理には触れないまま素通りしているためなんだね。なんの解決にもならないし、却って不信感を募らせることになってしまう。全身全霊で話を聞かないといけないし、それはとても大変なことだということを知らされている。
本当に分かってあげることができれば、その子の苦しみがすごく減る。当人は自分の苦しみ+分かってもらえない苦しみが加わっている。それだけでなく、「おまえはサボっている」とか「お前は悪い子だ」という非難を受けている。分かってあげても苦しみは減らないが、苦しみの孤独感からは解放されると。
人の心の影の部分。秘密というものが生きる力になっていることも少なくないという。お婆さんの嫁いじめでもそれを無くすると途端に元気がなくなってしまったりする。背徳にしても本人にとっては生きる力になっている。自分の今の人生は本当の人生かどうかを問うているわけだし、ウソつきにしても、ひょっとして本当の幸せが欲しいという感情の表れかもしれない。しかし、このマイナス部分は無くすことができないが、プラス面に変形することはできると。
*確かに浮気している時の精神状態には緊張感があり、それが仕事にも反映して、いい仕事ができたりすることを知っている。秘密やウソの背景や深層心理には刮目すべきものが隠されているのは確かなようです。女は案外そういうものへの洞察があって、見抜いていて見て見ぬ振りをしていたりする。
弱い者いじめには快楽がある。学校教育が悪いとか、家庭教育が悪いとかいうけれども、根本問題はそこにあると。快楽がエスカレートしていって収容所のアウシュビッツになる。性的欲望の中ではサディズム、マゾホズムになる。こういうものはちっちゃな子供にもあるし、大人だってそういうシチュエーションに置かれれば、実際に起こって来る。だれの心にもある。
それはユングのいう元型的なもので、自分で意識しているものを超えたもっともっと深いところに本当の自己みたいなものがある。そこにさえまだ影があるのだと。
われわれはその影の部分から逃れて生きている。それは世間体とか常識とか、女房にしかられるとかいうようなことがあって、辛うじて守られている。今はそういうものがだんだん脆くなってきた時代で、人間の意識がすごく拡大してきている。その守りがなくなってきているため、影の部分に下降していく可能性が高くなっている。
その影を知ってしまった人たちがいて、闇を抱えた状態でカウンセリングを受けに来る。
社会に反する行為、あるいは悪を露出させるような事件がものすごく出てきた。それは人間がちょっと放漫になりすぎているから。自分で何でもできると思いこみ、自分中心に考えて、何をやってもいいと思って疑いもしない。人間以外のものの存在を、心の中に持つことができるかどうか。
*全体を包み込むようなものとしての、母性のようなものがあって、父性などはなから無かった日本社会。30年以上前の対談から何も変わっていないとも言えるし、どんどん変わりつつあるともいえる。
*「人間がちょっと放漫になりすぎている。」とは、多くの人が思っていることでしょう。一神教の厳しい戒律があることで壮絶な世界のなかでも生き延びられる。一方の多神教のような
無神教のような日本人は絶対的に縋ることができるものを(一部を除いて)持っていない。「お天道様が見ている」といった感覚も薄れて、不審、不信の渦巻く社会。自然に対峙して謙虚に、本来の在るべく姿を見つけていくしかないように思う。
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