ザ・発音厨 - かつての悪い癖が・・・(=_=)
いちおう1990年代末から中国語の勉強を始めているんですけどね。途中、出産やら仕事やらで何年か全く中国語から離れている期間があったり仕事そっちのけで夢中で勉強した期間があったり、だらだら続けた期間があったりと、まあ真面目にコツコツ続けたわけではないので結構波があり、中国語は今も趣味レベルです。20数年前に市内の中国語教室で勉強を始めましたが、その教室はとにかく発音に厳しくて、bo,po,mo,fo…の子音だけで数か月、母音(よく初級の教科書巻末に付いているアレ)の読み方だけで半年以上もかけて練習させられました。今でも覚えているのは「あなたの<a>は中国語の<a>ではない!再说一遍!」と指導され<a>の発音を40分間やらされたこと(忘れもしない白先生という男性の先生でした。)と、まあこういう感じで発音の特訓を受け、たまに中国語の文章を読むというと李白や杜甫の詩の暗唱。(意味は教えてもらえず、発音を正しくできるかどうかの練習でした。)あと、もう一人の田中先生という先生は「中国語の発音の中に日本語のカタカナで代用できる発音は一つもありませんからね。カタカナではなく『中国語』の発音をしてくださいね。」と言われたことも心に残っているなぁ。というような授業だったので「ちょっとした中国語会話ができるようになれば。」という動機で入ってきた生徒さんは次々離脱していき、私が入って2年でその教室は閉鎖してしまい、その後の文法などはほぼ独学になってしまって今に至ります。と、いうわけで、何が言いたいかというと、一つ前の記事で「中国語がしゃべれるようになりたい。」と思い立ち、その前に音読練習!ってことでテキストを音読してみたら自分の欠点に気が付いた。みたいなことを書いていますが、テキスト音読を繰り返してるうちに音読にはまってしまって自分で自分をがんじがらめにしてしまって、しまった~(;一_一)となってるってことです 笑。一つ前の記事で「二声をついつい三声で読んでしまう。」という癖があると気が付きましたが、ピンインのない文を音読していたら「もしかしてコレも二声なのかも?」と心配になってしまって簡単な字でも辞書で引かないと気がすまなくなってきてかなり面倒な状態になってしまったんですね。で、いっそのこと全部ピンインが付いている初級の教科書を読んでみようと思い立ち本棚の奥の奥に眠っていたテキストを引っ張り出しました「上を目指す学習者のための中国語表現777」(晃洋書房)は一つ前の記事のテキスト(ピンイン無し)。「上海キャンパスライフ」(東方書店)は本文全部にピンイン付き。「青島の朝」(白帝社)は本文は一部ピンイン付き、「対話」コーナーの文には全部ピンイン付き。「上海キャンパスライフ」と「青島の朝」は大学の第二外国語の教科書らしいんですけど、近所のブックオフで手に入れました(10年以上前)たぶん市内の国立大学の中国語の先生が出版社から参考として送られてきた中国語の教科書をブックオフに売りとばしたと思われます。昨日と今日は「上海キャンパスライフ」と「青島の朝」を家事の合間になるべくゆっくり読んでいましたが、飽きてきてつい読むスピードが速くなると、やっぱり二声で読むべき単語を三声で読んでしまうことに気が付き、おまけに他の発音もいわゆる「日本語カタカナ発音」になってしまうのに自分で読んでいて気が付き「ああ、やっぱだめだなぁ。」と落ち込み。さらに、よせばいいのに自分が読んだ音声を録音して聴いちゃいまして、「全然ダメやん…。」さらに落ち込んでしまいました。昔、死ぬほど厳しく発音の指導をされた記憶が残っているだけにやけに自分の発音に対する要求だけは高いというか。まあ、当時もそこまで先生の言う通りには発音できていませんでしたけどね。今よりは正しく発音できていたのかなと思います。現在、ほとんど中国語を話す機会はありませんが、話す時は「あっ、さっき-nの発音なのに-ngになっちゃった。」「shiなのにxiって言っちゃった。」とか常に気にしちゃって話すのが嫌になるんですよね。なので中国人の人と話す時は相手が日本語を話せる人なら極力日本語で話します。というわけで、発音にこだわるあまり話すのが嫌になった学習者の例でした。未だに白先生と田中先生の言葉の呪縛から逃れられないという真面目な生徒 笑。ストレスを感じない程度に中国語会話の領域に足を踏み入れたいんですけどね。とりあえず来年の4月開始の各種オンライン講座やら実際の中国語教室やら検討していますが果たして実行するかどうか。自分でもまだ分かりません。