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カテゴリ:八房之記憶
仕事で「よくそんなで生きていけますね。」と言われる。うーん。物欲がないから、なのか。そういう相手の顔が欲望にぎとぎととテカって醜く見える。確かに収入は、恐ろしいまでに低いけれども、別に人間何とかなるんじゃあない?とか思っているので、そして自分のやっていること一つ一つに自信をもってやっているので、たいした問題じゃあない。
むしろ相手に聞きたくなってくる。「あなた、今自分がそうやって生きていく価値があるんですか?」意地悪く聞こえるかもしれないが、ホントにそう思う。 確かにこうしてパソコンなど使える状況下にあるというのは非常にラッキーであるといわねばならないだろう。しかし、なければない、で別に僕の本質が変わるわけじゃあない。 でもきっと、彼らはそうは思わないだろう。非常に悲しいことである。 ところで誰かの日記に「あたしは恋愛命じゃあない」と書いてあったけど、残念ながら、それはポーズとしてなら許せるけど、もし本当にそう思っているのならば大きな間違いだと指摘する。人間なんてものは、そこまで立派に出来てはいない。所詮は三大欲求によって突き動かされているに過ぎない。 さて、僕は恋愛によって成り立ち、恋愛によって生きている。もちろん人間相手に限らないけれども。気持ちが行動を作っている。だから、自然と物欲が消えていく。特異体質なのだろうか。恐らく。この日本国内では。 昨日会議中のカフェで、隣の男女が、恋愛話をしていた。 どうやら女性の方がある男にフラレ、相談役の男(どう見てもその娘を狙っている)に話を聞いてもらっている、という構図だ。ちなみに女の方は泣いている。 僕は、会議もそっちのけで、その様子をうかがっていたのだが、まぁ女の方は、なんで自分の思いが伝わらないのか、とエゴ剥き出しの話をしている。男は男で、そんな女の戯言を正当化し、自分のポイントアップを図っている。とても欲望の渦巻いた内容であった。 しかし、僕は彼らを醜いとは思わない。彼・彼女は本能的であり、そこには打算も なく、懸命さがあったからだ。あまりにもストレートすぎて、少し笑ってしまったけれど、それは決して悪意ではない。僕も恐らく何度も同じ局面があり、それを周囲かまわずに振舞っていたであろうから。自嘲しただけだ。 自嘲すると同時に、そんな自分が愛しく思える。そういうところに達人はいらない。 今も僕はそんなぎこちない恋愛を続けている。肩まで浸かっている。 抜けることは考えもつかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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