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カテゴリ:八房之記憶
最近「坂のある町」の製作関係で、いままでになくインターネットで知り合った方々と会ったり、私書のやりとりをしたり、なんだだりかんただりやっているものの、あまりの手ごたえのなさに辟易中。
作品作ってます。作家です。カメラマンです。詩書いてます。いろいろいるものの、皆自己満足で終了ー。「あの…それはプライベートとしてはイイかも知れないけど、それで仕事したいなら、指向を変えないとなんないんじゃないかな」という提案に、即座にマイ・ワールドを展開。いやいやそれで使ってくれる企業なりがあればいいのだけど、生憎と僕の知っているところではそうはうまく行かない。残念ながら「はいそれまでよ」となってしまう。 ここで作品の出来不出来は問うてない。あくまでも気持ちの問題である。 正直、それで作品の出来がよかったら、気持ちなんて関係ないし。 あくまでもその気持ちが問題であって、僕はその話しを中心にすすめる。 当然相手は、何故自分の作品を観てくれないんだろう?と思う。 はい。正解は現段階のあなたの作品には興味がないからです。 あなたのいままでなんてどーでもいい。「だれかにほめられた」とか「作品展をやった」とか。じゃあなんでそこで芽が出なかったんでしょうね。そんなのは誰の心も打たなかった&ただのリップサービスでしかないからです。はい。 そんなぬるい世界で有頂天になっている人々を、進化を忘れた「ネット猿」と命名している。ネット猿は恐ろしく多い。 じゃあお前のブログはなんなんだ?変な絵描いたり、変な文章書いたり、変な写真載っけているじゃあないか?と反論が来る。はい。当然です。 でもこの中に掲載しているのは、全部習作にしか他ならないと、以前書きました。あと、本業を個人のページに載せるようなビジネスマンにあるまじき行為はしません。 仕事はどんなものでも受けますよ。今も某企業のDVD製作に追われいます。そんなことはどーでもよろしい。 問題は「気持ち」。 越後Pと初対面した時「今度会いましょう」「じゃあ今週の土曜」「その日は女の子たちと温泉ですが、きますか?」「あ、行く行く」。このテンポ。 これが気持ちです。お互いに会おうと思った。スケジュールはその為に変更した。それだけのことです。 しかーし。残念ながら、ネット猿の方々と会おうと言う算段になる。 「学校がある」「試験で忙しい」「友達と飲む約束がある」…。 そんなことで話が延び延びになる。 まぁ当方がそれだけの気持ちを引き出させる力がないのは認めるけど、少なくとも僕は「自分を見せる」ためなら、相手がどういうことなど関係なく動くものだから、ネット猿の脚の鈍さにびっくりする。 ちなみに僕は、わたなべ杜都に企画の話をする。すぐに返事が来る。「僕ならこうする。」と言われる。そしてそこで討論がなされる。これでしょう。 脚本を送る。「これではひとりよがりじゃん。」と返事が来る。そしてそこで討論がなされる。これでしょう。 他のサイトを見る。その子の写真が載っていたりする。「かわいいですね」「あなたのカラーがある」「写真うまいですね」とか書かれている。撮影者は上機嫌になっておなじようなものを載っける。またおなじような(ぬるい)評価が下される。そこで自信を持つ。てか、勘違いをする。そして進化を忘れる。ネット猿の仲間入りをする。怖い怖い。 昔、彼女に言われたことがある。 「あなたは才能があるから、他のモノを切り捨てて生きていけるけど、他の人は違うのよ」 違うでしょ。今の僕の自信を支えているのは、努力の賜物です。もちろんまだまだ努力は足りないと思っている。 で、前述の彼女は“自分の努力不足を認めたくないから、人を「才能がある」と評価して、自分と切り離して、自分を正当化しようとしている”ようにしか見えない。 まぁそんなこんだで別れた訳なんですが。それもどーでもよろしい。 ちなみに今、僕はインターネットで知り合った方々の中で「作品的に好きな」方とあちこちで合同作品を製作しようと目論んでいる。「作品的に好きな」方に私書を飛ばすと、二つ返事でOK・やりましょう!と返ってくる。これだよなぁ、これ。と膝を叩く。この中にはネット猿はいない。進化し続けている仲間がいる。 故に、インターネット大嫌いなこの僕は、まだこの道具を使っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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