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カテゴリ:八房之記憶
友人の奥さんは、毎週演奏会に行く。ほぼ毎週。せっせと足しげく通う。
この間知り合った取引先の男性は、新しい携帯電話が出たら、すぐに機種変更する。出たらすぐに交換する。 情報を発信する人がいて、それを消費する人がいて。ギブアンドテイクというか、需要と供給の関係というか、別に人が何で満足を得ようが知ったことではない。ホント。というか、興味がない。いや、あるのかな。興味、というよりは疑問。そう、疑問。 お金が欲しい、という。何に使うため?自分を磨くため。自分にゆとりを与えたいため。 ここを欠落している僕にとって、この疑問は解消されない。頭の中がクエスチョンマークで一杯になって、耳の穴からこぼれ落ちても、きっと解消はされない。 だから聞いてみる。 「自分がそんなに大切なの?」 えーっと。思い返せば十五年くらい前、北海道の帰り、飛行機の中で「このまま墜落してしまえばいい」と思った僕だから、それ以後あまり自分が大切には思えない。そりゃあお腹が空けばなんか食べるし、一通り何か欲しいものだってある。でもそれは大抵、自分の作品を形にするために必要なもののためだ。「自分」のことは結構いい加減に扱っていた。一週間風呂にも入らず、服だって着の身着のままって訳ではない。もちろんヘアムースをつければ、穴の空いたTシャツは着ない。でも所詮はそこまでだ。 以前外国人たちと暮らしていた時期があって、そこで僕は「おばかなジャップ」相手に仕事をしていた。何故「おばかなジャップ」かというと、彼らは夢を知らないからだ、と皆口をそろえる。 「ヴィトンのバッグが欲しい」「ベンツに載りたい」「外国に行きたい」「マイホームが欲しい」 …てなジャップは、確かにおばかな方々です。 「お金で買えるものを夢とは言わないでしょう?」とドイツ人の歌姫ウーリィさんが言う。 「それだけじゃあない。連中は人生ってもんを全然理解していない」とバックパッカーのノアムとマオ。 「でもあんたは別ね。あんたは、お金嫌いだし、その上世の中になんの期待も持っちゃあいない。でもそれは夢を持っているってことなのよ。」最愛のオスナットにそう言われ、僕はニヤついた笑いを浮かべる。 成程僕はこの世の中になんの期待ももっちゃあいないし、自分自身に期待もしていない。 ただ、自分が生きている中で排出されている物語をなんとかして形づくるだけだ。 まぁ、唯一の欲と言えば、正常に動くパソコンが欲しいかなぁ。これを言ったら、僕も「おばかなジャップ」の一員なのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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