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カテゴリ:八房之記憶
後編。
Mさんからのメールより。 こんなこと考えています。 メディアという媒体に影響されながら日々過ごしている。あの雑誌がこれがいいと書けばそれに影響される。 《返信:仙台はかなりこの体質強いですね。理由は歴然としてます。仙台市という田舎都会に田舎者が集まってきているから。田舎者は都会信仰が強く、また地元の人間もそんな彼らに対して見栄っ張りな部分を持っているから。救われがたいです。ホント。僕はこの波のせいで店が潰れました。かれらが欲しているのは「いいもの」ではなく「メディアに載っている」もの。またかれらの言い方をすれば「メディアに載っているからいいもの」ということでしょうか。》 本当は影響されない人間に、だなんて理想論でしょうか。 《返信:影響されることは悪いとは思いません。ただ「すごいから」とか「いいから」影響されています、というのでは健常者であり、単なる消費者に過ぎません。もしMさんが何かを求め、何かを作ろうとするのならば、そこから一歩踏み出す必然があると思います。つまり、その影響に対して「何故」影響されたのか?を突き詰めていくことです。 先に回答を述べますと、「自分にはないもの」が「影響される」根幹であると思います。ではその「自分にはないもの」を手に入れる事ができるのか?が、モノを作る人間としての勝負になると思います。》 しかし、本は知識を与えてくれる。何もない状態で自分は成り立たない。だから厳選していかなければいけない。 《返信:厳選…はしなくてもいいです。死ぬ程読む事は必要です。ちなみに僕は本屋に行くと、棚の端から端まで見ます。本が好きだから、という理由も在りますが、基本的に自分の感性をあてにしていないのかも知れません。》 なにか文章に不快な点がありましたらごめんなさい。思いついたらばーっと書いてしまう癖があるのです。とても論点不明で何が言いたいのかわからないような文章で長々と失礼いたしました。やっぱり自分に自信がありません。 《返信:あなたが「自分に自信がない」と自分を判断するのはいいですが、それを言われると「アート系」の方々はカタナシですな。あなたはすごく感性が豊かである。モノの見方を高く評価します。》 …という感じですが、彼女のこの文章を「アートくん」(親愛の情を込めてこう言う事にしました)に捧げたいですね。それとも「アートは頭じゃあない!感性だ!」と反論するのでしょうか? 感性だけだで充分勝負できるのでしたら、もうあなたはとっくにアーティスト(親愛の情を込めて敢えて言ってみます)になっています。 更に「感性だけ」より、「感性+信念」があった方が当然すばらしいものができると思います。単純な計算ですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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