大根の発芽 第一弾はあまり出ていない 次は第二弾 東日本大震災557日後に
昨年の秋の大根の種まき 今年もどんどん種まきしよう1回目 種まき09月04日 m-08の畑に直播をした 台風12号の雨がたっぶり 今がチャンス09月11日 発芽している みごとに全部がok 台風12号の雨が大量だったからかな09月18日 2週間 やや成長している10月02日 1ヶ月が過ぎた かなり大きくなってきている10月30日 5cmくらいになってきている11月03日 もうokだなあ 3本を収穫しておく 第一弾はok11月12日 5本を収穫した 合計8本11月13日 5本を収穫 合計13本11月20日 5本を収穫 合計18本11月27日 5本を収穫 合計23本2回目09月18日 種まきした m-07の畑に09月25日 発芽してきた 無事だ10月30日 3cmくらいになってきている11月27日 もう大きくなっている12月03日 初の5本の収穫をしておく3回目10月02日 種まきをm-07の畑で追加してやっておいた10月30日 まだ小さい11月27日 かなり大きくなってきている第4回目の種まき10月10日 m06の畑で種まきをしておいた10月30日 まだまだ 小さいな11月27日 これはまだ小さい今年01月08日 収穫は今週も5本しておいた これは第一弾の残りもの01月15日 収穫は5本01月21日 収穫は5本01月28日 収穫は5本02月04日 収穫は6本大根 第1弾11月03日より収穫を開始 ただいま8回 3-5-5-5-5-5-7-5- 40本 大根 第2弾12月03日より収穫を開始 ただいま7回 5-5-5-5-5-5-6- 36本大根 第三弾02月11日より収穫を開始 ただいま4回 5- 5-5-6-9- 30本大根 第四弾03月31日に収穫 小物30本大根の収穫は22回目 合計106本 小物40本これにて 終了 残りはまだ沢山あるが花が咲き出している これはもう無理だなまた 春の大根の種まきをしよう04月08日 大根の種を買ってきている04月15日 種まきをしておく m-08の畝に1列蒔いておく種まきした 発芽はしているはず ?? 日曜に見に行こう04月22日 無事に発芽していた ok05月04日 まあまあ育ちつつある05月20日 葉は大きくなりだした 来月から収穫の予定05月27日 大きくなっているが 根っ子はまだ小さいな次は第二弾の大根の種まき04月30日 残りの種をm07の畑に撒いておいた05月04日 まだ発芽していないな まだ4日目 もうすこしかかりそう05月11日 発芽したあ05月20日 これくらいまで成長している05月27日 葉も良く茂ってきている春の大根 第一弾 6月の10日から 収穫の予定しかし 小さくても良い とっちゃえ05月31日 初の収穫 小さいが食べてしまおう06月03日 小さいまま 第二回目の収穫 小さいが葉も食べてしまおう06月06日 3回目の収穫 やや成長してきている06月10日 4回目の収穫 5本をとっておく06月13日 5回目の収穫 5本をとっておく06月17日 6回目の収穫 5本をとっておく06月20日 7回目の収穫 5本をとっておく06月24日 8回目の収穫 8本をとっておく6-7月と2ヶ月は収穫していける見込み第一弾の大根は梅雨の雨で弱ってきている次から 第二弾のを収穫しよう07月08日 9回目の収穫を第二弾よりとっておいた 5本07月15日 10回目の収穫をした5本07月29日 11回目の収穫をした10本08月05日 12回目の収穫をした これにて 終了となる今年の秋の大根の種まき猛暑もすこし 落ち着いてきたで今年も大根の種まきをした09月08日 g-10の畑で大根の種を直播きしておいた 水もたっぶりと雨もすこし降っているので 種まきには ばっちり09月15日 畑にいって発芽したかみにいく あまり発芽していない 土が固いのかな ??とりあえず 第二弾を09月16日 庭で種まきをしておく 発芽したら 畑に移動しよう東日本大震災 3月11日発生09月19日は 既に557日後となった武田さんのブログ----------------------------------------------尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わずに、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本より中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級は清朝に隷属していました。その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。—イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 fところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいずれかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われるから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、それを考えなければならないのです。くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んでいる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。(平成24年9月16日)なーるほどはた坊