山椒 発芽するのは まだ 先だなあ 東日本大震災715日後に
山椒の枝芽がすこし ついている春には まだ早いかも発芽するのは まだまだ 先だなあ東日本大震災 3月11日発生 2月24日は 既に715日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ ----------------------------------------------暮らしの安全安心 第二回 ー心理的安全ー安全安心な都市生活のための社会技術 第二回 -都市の心理的安全・ハザード- 1. 第二のキーワード:都市の「心理的安心」 「安全」が物理的絶対的な尺度を問題にするのに対して、安心は人の心の状態を示すので、同一の物理的状態であっても特定の環境下で大きく変化することが繰り返し指摘されている。たとえば戦争中には周辺に爆弾が投下されていても強い恐怖心を感じることはないのに、戦争が終わった直後においても不発弾に対する恐怖はきわめて強いと言われることなどがその典型的な例である。 このように「物理的な安全」と「心理的な安心」とは必ずしも比例していない 1)。そして社会がより安全により成熟するにつれて、また物質の豊かさがあるレベルを超えると、物理的な安全より心理的な安心に都市の住民の関心が移る。その意味で現代の日本では、平均の国民所得が世界のトップクラスにあり、かつ平均寿命も世界一という状態であるので、安全の確保は当然のものとして、心理的な意味での安心のできる都市を構築する必要があることは論を待たない。 安全であって安心ではない都市の構造物として、典型的な例が「総ガラスのビル」である。この種のビルの存在はすでに都市では珍しい存在ではないし、建築工学的には十分な安全性が確保されているが、そのビルの横を通る人は「地震が来たら上から落ちてくる鋭利なガラスで死ぬに違いない」と感じる。物理的に安全であっても心理的には安心できない。 図 6 総ガラスのビル この総ガラスビルの安心問題は文理融合型の課題であって、単に材料工学的に地震でガラスが割れないようにしても解決はしない。すなわち、地震はそれほど頻繁に襲ってくるものではないので、「地震でも鋭利なガラスが上から落ちてくることはありません」と説明されても人々はそれを体験することができない。一方、家庭にあるガラスはしばしば割れて鋭利な断面を示す。 従って総ガラスのビルに「安心」を求めるためには理屈で判断しなければならないが、多くの人は材料工学の専門家ではなく、従って現在のところ総ガラスビルに対して一般の人の「安心を得る方法」は見いだされていないのである。 前節で解説した自動車についても安心に関する社会技術の開発余地は大きい。一般人が人生で悲惨な目にあう機会として地震のような天変地異を別にすると、自動車事故が圧倒的にその可能性が高い。日本での自動車事故による犠牲者数は8,000人程度であるが、負傷者数は120万人にも及ぶ。このような膨大な被害者を出す工業製品が社会に容認されていることは実に不思議なことで、自動車の利便性と習慣的な安心感がその基本となっていると考えられる。 例えば新型の電気釜を販売したところ、時々爆発して1年に2,3人が死亡したと言うことになると大騒ぎになり、その電気釜が販売中止になりメーカーは厳しく責任を問われるだろう。しかし自動車は8,000人の犠牲者と120万人の負傷者を出しながら販売され続けている。それも製品としての自動車が安全に万全を尽くしているとは言えず、最高速度は150キロを超えるものもあり、自動車雑誌には「暴力的にまで高性能で高馬力」と書かれているものすらある。 都市における自動車に関する安心感を技術的視点から解決する方法を考案するのも社会技術としては大きな課題である。それは「早く逃げる」「火事になったら仕方がない」ということで昔からほとんど改善されていない都市の火災の危険についても同様であろう。 都市生活は地に足がついていない、つくことができないのが基本である。従って体験してそれが安全であり、だから安心できるという道筋は存在しない事が多い。また総ガラスビルの問題では「総ガラスビルが安全と言っても建設側が言うのは当てにならない」という不信感も強い。この不信感はこれまでの多くの事故によって市民が体験してきたことであり、それだけにどのような方法で安心出来る都市作りができるかは自然科学者か医化学、そして心理学などの学問を融合した分野の社会技術研究が待たれる領域である。 2. 第三のキーワード:ハザード ひところ「モラル・ハザード」と言われ、それは「モラルの崩壊」もしくは「モラルの徹底的崩壊」と受け取られた。しかしハザードという用語はすでに崩壊したり危険が現実になったりしている状態ではなく、潜在的な危険を示すものである。よく「ハザード・マップ」という用語を用いて作られる地震が発生した時の危険箇所を示す地図やゴルフ・コースにおけるハザードなどがそれに当たる。 しかしより深い意味では、危険を回避するために、その方法やシステムを整えることによって現実に危険が回避され、それによって人々の注意がかえっておろそかになって、事故の発生の危険性が高まったり、人々の危険に対する注意力が散漫になることである。つまり都市のハザードとは一見して安全が保たれ、それが常態になることによってそこにいる人が注意をしなくなる。しかしその状態でも都市には常に大きな災害に結びつく要因が存在すると、いったん災害が訪れると大災害に発展する可能性がある。 日常生活の中の具体的な例としては、たとえば食品の食中毒は「ハザード」にはならない。それは食中毒は時々発生し、その情報は新聞やテレビで知ることができる。さらに毎食目の前に「新鮮かどうかはすぐには判らない食品」が並ぶ。料理人は時には臭覚を使ってそれを判別する。このような状態はハザードを形成しない。 しかし販売される食品に「賞味期限」の表示がされるとハザードが発生する。すなわち消費者は目の前の食品が腐敗しているかどうかを見分ける力を失い、表示の賞味期限のみを信用して調理することになる。なぜ賞味期限が必要か、賞味期限の表示が真に都市の安全安心に貢献出来るかは人間の心理状態、臭覚や味覚の問題、さらにはこれまで試行されてきた例を詳細に統計的な処理をするような社会技術研究を進めることが求められる。 また大規模なハザードとしては、都市が表面的に物理的安全になり、災害が少なくなると心理的にも安心感が広がり、しかし新しい事態、かなりの年限をおいておこる巨大災害などに対する研究が不足するとそこに大きなハザードが形成される。2005年初めにインド洋で起こった津波災害は海岸線の安全に関する巨大なハザードが存在したことを示した。 すなわち何100年も津波がないから今後も津波は起こらないという学問的には間違った認識が定着する。そして地震が起こるとプレートの運動によって周期的な大地震が起こり、それによって津波が発生するのは当然であるという解説が行われる。ハザードが存在しそれが指摘されず、且つ対策が打たれないことを示している。また津波の犠牲者が発生すると、今後数100年は起こらないと思われる地震に対して過度に反応するが、これは「安全」の問題ではなく、「安心」の問題に変わったことを示している。 このような状態は工学的にはシステムが不完全と見るべきであり、それを改善するのは解析的で具体的にものを進められる工学の分野を中心とした社会技術の適応が望まれる。しかしハザードは知らない内に存在し、安全と安心が向上するにつれて潜在的なハザードが発生するという困難さがある。 したがって、それを技術的にどのような手段で克服するか、人間の心理的な弱さを技術でカバー出来るかがこの領域の大きな課題になろう。特にハザードの発生が情報に密接に関係していることから考えると情報技術がこの分野の社会科学にどのように応用されるかも楽しみの一つである。情報の有効で巧みな活用が人間の心理的弱さから来るハザードの存在を基本的に消滅させることができれば社会科学的にも大きな進歩である。 表 3は大都市、中都市、小都市、それに町村に住む人を対象として、住んでいる場所の近くに危険箇所があるか、それを知っているかについてのアンケート結果である。危険な箇所の存在を知り、それがどこであるかを知っている人の比率は大都市でも町村でもそれほどの違いはなく、おおよそ5人に1人、あるいは4人に1人程度は知っている。 それに対して危険な場所があることは知っているがそれがどこかは知らないという人は大都市では少なく、町村では多い。つまり町村ではオープンスペースが多いので危険が存在することさえ知っていれば安全でありあるいは安心であると考えているが、都市では特定の場所の存在を知らないと安全を守れないと考えていることが判る。この問題も基本的には情報の問題であり社会技術の研究課題の一つである。 表 3 危険箇所の認識 以上は現実に存在する危険性に基づいた事項であるが、これに加えて最近では後に整理する心理的マッチポンプと連携したハザードが新たに生まれようとしている。多くの巨大な危険が連続して報道され、それらの危険に対する対策がとれない状態になると情報の受け手は何をしたらよいか判らなくなる。 2004年春に起こった狂牛病、鳥インフルエンザを中心とした食の不安では、「何を食べたらよいか判らない」という反応がおこり 2)、2005年春には、スマトラ沖地震に伴う津波、東海東南海連続地震、直下型地震等の地震不安を中心として史上最大規模のインフルエンザの蔓延、史上最大規模の花粉の飛散などの報道が続いている。これらの報道の一つ一つは危険を予知して安全を向上させるものであるが、それが対策なしに連続的に示され、その危険性について正しく報道されない場合はハザードが発生する。 これらの報道と対策不足によるハザードの発生について従来はもっぱら社会科学の問題として捉えられていたが、社会科学は報道の仕方などについて解決策を示すことができるが、危険の対象となっている狂牛病、インフルエンザ、地震、花粉などはいずれも自然現象であり、それらが適切に報道されることが前提となる。その意味でまさに「ソフト社会科学」の範疇に入るものといえる。 武田邦ふむふむはた坊