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2013年02月20日
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カテゴリ:カネミ油症のこと



『カネミ油症の患者として』 40年前の証言

からの つづきです。



家




 娘はおかっぱにして髪をのばしているんです。髪にかくれた部分がひどいんです。そのために、私、実はその日まで気がつかなかったんですけど、毎日毎日、そうしてむしっていたんですね。押し出してるんじゃなくて。鏡を見ては、ヘヤ―ピンや、爪で肉ごとむしり取ってたんです。

 その時、気がついて、僕はびっくりして、『そんな取り方しちゃいけない。あとに傷痕が残るから』‥それから、私が取ってやるようにしたんです。あまりつつきますと傷痕がひどくなりますので、できるだけ控えるようにした方がいいわけなんですけど、ちょっと目を離すと、あるいは私がやってやらないと、さっきも言いましたように自分でやるわけなんです。

 それをやっていて、娘は娘なりに、『どうして、こんなことになったんだろう。なぜ、こんな目に会わなきゃならないんだろう』 と‥。そうしてまあ、多感な年ごろでしょう、学校へ行ったら、どうしてもそういう顔を見られるということ、耐えがたかったと思うんです。ま、何か、針のむしろにでも座るような気持ちじゃなかったかと思うんです。

 まあ、そんなことから、そういうふうにして鏡を見て出している間に、自分の顔を見れば見るほど、もう、どういうんですか、居ても立ってもいられない気持ちとでも言うんでしょうか。一種の錯乱状態でしょうかね、半狂乱のようになったんじゃないかと思うんです。そしてガァーと自分の爪で、顔をかきむしったわけなんですね。そうして、血だらけになって、もう、放心状態になっている時に、私がふすまを開けて入ったわけなんです。

 まあ、驚くというより、何か、『このままではどうなるんだろうか』 ということですかね。このまま、この子たち大きくなって、本当に今言いましたような肉体的な成長もさることながら、やっぱり人間形成の一番大事な時期でもありますし、こういうことがこの子たちの精神状態に、どんなふうに影響するのかなあ、決して良くないことはわかっているわけですね。

もっとも、そういうものを乗り越えてでも、まあ油症と限らないわけですけど、小児マヒでも克服して、りっぱに立ち直ってる人がおるわけですから、そういうことを考えますと、くじけちゃいけないとは思いますものの、まだこれから先、どんなふうな症状が現われるのか、どうなるのかわからないという不安があるわけなんです。それだけに、子どもたちに対して、『勇気を持て、元気を出せ』 と言いたいんですけど、言えないんですね。『どうしてこんなになったの』 と聞かれたら、説明のしようがないんです。

 そして、子どもたちは子どもたちなりに、その、どういうんですか、まだ十分によくわからないわけですから、理由も何もわからずにいきなりひっぱたかれたようなものじゃないかと、僕は思うんですけど。

 そうすると、一番ちっちゃいのなんか、さっきも言いましたように、あまり表面に出てないんですけど、とにかく突然、40度から41度の熱が出たり、もうずいぶん学校を休むんです。ノドが痛い、扁桃腺がはれる、まあ何だかんだで、涙が出る、休む。休むから成績が悪くなる、おくれる、学校に行くのが嫌だ。そういうくり返しになるわけです。

 だから、あのちっちゃい目でどんなふうに考えているのかな、と僕は思うんですけども、あまり油症のことは話しませんが、子どもたちに。やはり何か、触れたくないんだろうと思います。まあこれから先、どんなふうな形で病気が出てくるかもわからんということと同時に、いま言いましたようなものが、今度は社会的に対応していく場で、好むと好まざるとにかかわらず、どうしても身上調査だとか、いろんな面で、この油症が意外な形で、これから出てくるんじゃないかと思うんです。症状とか、そういうものは別にして、そういう場合に、たとえば就職、進学、もっと進めていきまして、たとえば結婚、縁談ですか、こういった時に症状とはまったく別個な場所で、思わぬ時に出てくるんじゃないか。

 いま現在、ほとんどの人が、油症というのはもうすでに終わった事件、そういうふうに感じておられるんです。たとえば、先ほど申しましたようにわずかの差ですり抜けて、まあ何百万円になるか、あるいは何十万円になるか知らないけど、補償金をもらえる。実はラッキーだったという、まあそういうとらえ方もあるわけなんですね。


   隠したい、しかし終っていない

 そうしてみると、何かこう油症そのものは、あの黒いブツブツの症状だけでとらえられていて、もしそういうものが終わってしまう。治ったらそれで終わったものだというとらえ方もあるわけなんですね。だけど、その被害者、患者自身にしてみますと、まだまだこれから先あるわけなんです。ですから私、油症はすでにもうある意味においては忘れ去られる。終わったかのように見えますけど、いつどこでどんなふうにして、あらわれるかわからないわけなんです。いまも潜在しているわけなんですけど、潜伏しているとでも言うんですか、そういう面を本当は、私、実は今日ここへ来て、そういうことをお話したかったわけなんです。

 『隠したい。本当はそっとしておいて欲しい』 という気持ちが、強いんです。でも一面において、重症の方が座り込みやら、いろいろやっておられます。たいへん勇気のいることだと思います。私自身、さっき玉の浦の方ですか、『実に得がたい体験をさせてもらった。充実した一生だった』 というふうに言っておられるわけですけど。本当、これが充実したかどうかは別にしまして、こういう体験をした以上、そのことを訴える。何かこうそれがわずかなものでも、ささやかなものでも、歯止めするための、患者としての義務みたいなものも感じるんです。

 ですから本当は、私、広島県の 『被害者の会』 に入っているんですけど、そういう面で活発に活動しなきゃならないと思うんです。でも、わずか2~3回行っただけで、ほとんど参加していません。まあそれは、向うから通知がくるのが、前日の夜だとか、まあ、そんな関係で思うように休暇が取れないということもあります。

 そんなこんなで、申しわけないと思っているのですけど、このたびこの自主講座を開くにおよびまして、そしてその内容を知るにおよびまして、今まで誰にも触れられたくない、隠していよう、さっき言いました家内の死因にしてもそうなんですけど、本当は全く油症とは関係なく、乳ガンだけで死んだと言い張ったことも、何かすべて含めて、このままではいけないな、そんな気持ちになるわけなんです。

 実際に、私自身、この油症になりますまでは、水俣病にしても森永にしても、新聞の記事をチラッと見る程度で、まあもっとも人並みに同情もしますし、そしてそれが話題になった時にはいっぱしの意見もはいたりしてました。でもやっぱり、本当の痛さはわからなかったんだと思うんですね。今度、この油症を経験しまして、これが本当の痛さだということがわかって、いま思い返しますと、やっぱり僕もかつてはそういう傍観的な立場だったんだな、と思うんです。

 それだけに、この 『油症とは何か』 ということ、非常にむずかしい思うんですね。やっぱり僕自身がそうであったように、どうしても自分の身にふりかかってみないと、その痛さというのものはよくわからないと思うんです。わからないからって、わかってもらえないからって、別に言っているわけじゃないんです。ですけどやっぱり、そういう目に触れた部分だとかいろいろありますけど、それ以外に本当に患者としての気持ち、心情は、これから先にも残されていますし、いつ、どんなふうな形であらわれるかもわからない。

 実は、この話も本当はしたくなかったんですけど、私、満45歳になったんです。いままで油症になるまでは、どちらかというと五つもしくは六つ、七つ、ひどい時は十くらい若く見られていたんです。まあ、あまり賢くないから若く見えたのかもしれませんけど、いつも 『若い若い』 と言われてたんです。ところが、この油症以来、今度はあべこべなんです。よく、初めて会った人なんかに‥まあ、いつも年を聞かれたり、年を言ったりするわけじゃないんですけど‥たまたまそういう機会があった時に、50歳ぐらいだと言われるわけなんです。

 さっき申しましたように、いろいろ手入れをしたり、やっと自分自身をなんとか納得させて、「夜目 遠目笠のうち」 というんですか、習性になってしまったんですけど、なるべく明るいところに出ないようにする。そして、白色蛍光燈の下を避けたり、そんなふうなことがなんとなく身についた生き方をしてるんです。

 なんとかうまくごまかしてるんですけど、人に仮に見られたとしてもねえ、そうも思わないんですけど、それがフッとどうかしたはずみに鏡を見るんですね。ジッと見てたときに、さっき申しましたように、『ああ、もうやめた』。 なんか絶望的になるんですねえ。それはどういうことかというと、顔が醜くなったということだけじゃあなくて、なんかもう、ここでうまく言えませんけど、とにかくもう 『ああ、どうしようもないなあ』 という気持ちになるわけなんです。


家


つぎへ つづきます。





【カネミ油症のこと】

『カネミ油症の患者として』 40年前の証言

 







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最終更新日  2013年02月20日 23時13分59秒
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