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テーマ:今日の健康状態は?(10620)
カテゴリ:健康
皆様、新年明けましておめでとうございます。
大晦日の晩、調子に乗って水分を摂り過ぎたのが祟ったのか、元日早々体調を崩し、一日中身体を休めておりました。 休めども休めもども一向に胸の重苦しさは改善せず、横になろうが起きようが呼吸が楽に出来ない。自分の回りだけ酸素が薄いのではないかと思うほどで、このような症状は初めての経験でもあり、お腹は大きくまるで妊婦さんのように膨れてしまう。 利尿剤を飲んでもあまり効果が出ず、排泄される尿量はごく僅かで肩で呼吸をする始末。心肺機能が低下しているので、身体の隅々まで血液が行き渡らず、手足は冷たく去年まであれほど暑がりだったわたしが一転して寒がりになってしまいました。 主治医から、「冬場は心臓病が一気に悪化することがあるので気をつけるように」と言われておりましたが、自分の病気に対して40年も付き合って来た中での「油断」が出てしまったのかと自分の心臓への思いやりの無さに今頃になって気付いた大馬鹿者です。 元日に予定していた「初詣」、自宅から徒歩で数分の所にある帝釈天が数十キロ先の遠い場所に見え、外に出て歩く気力も失せてしまい今年は初詣を諦めました。 本来なら心臓の手術が成功するよう祈願したいところでしたが、断念。ベッドの上から祈願するはめになりました。 ただ、わたしの代わりに家内が行ってくれ、お守りを頂いて来てくれたのでそれを持って手術に臨もうと思っております。 わたし3回目の手術に対し、かなり弱気になっているようで、こんな自分を見るのも初めてで、生まれて初めて自分が死んだ夢まで見てしまうとは...。ただその夢の中の自分が子どもだったのが救いだった。 どんな手術でもリスク0はなく、必ず危険は付き纏うもの。それを全く恐れることもなく、1、2回と手術に臨んだのはやはり若さが持つ生命への揺ぎ無い自信だったのでしょう。 その自信が今揺らぎ始めている。死への恐れを感じている。これはおそらく死というものをこの歳になって漸く理解出来たという一種の到達点ではないかと思う。わたしが書く詩はその殆どが生と死であるが、どこかの著名な女流詩人が「詩は死である」という言葉を残している。 死の中にこそ生命の躍動感や美しさが見えるのも事実であり、まさにその通りなのだと思った。半月もすればわたしは古巣へ戻る。 2回目の生を授かった場所へ3回目の生を授かる為に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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