|
テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:ニュース
子どもの頃、太陽を観察するのに下敷きを使ったことを覚えている。 わたしの下敷きは落書きだらけであったから、既に太陽より真っ黒でまともに観察が出来なかった。 隣の女子生徒のカラフルな下敷き照れながら借りたものだ。 46年ぶりとなる今回の皆既日食を一目見ようと、全国各地で「皆既日食ツアー」が行われ、大勢の天文ファン、そして壮大な天体ショーを自分の瞳に焼き付け伝い人たちで、22日は太陽も照れるほどの視線が空に集中した。 自然現象は天候に大きく左右されるため、場所によっては全く見られず涙を呑んだ人も多いかと思う。 観測出来なかったら、ツアー代金を返還する位のサービスをツアー会社は提供すべきだろう。 全額返金とは言わないまでも、やはり観測が目的なのだからリスクは会社とツアー客が負う形がよろしいかと思う。 その昔、地球がまだ丸くなかった頃、人類には他の動物と同じように「第6感」が発達していた。 自然に隙間のないほど寄り添うように生きていた時代だったから、他の動物と人類に隔たりは一切なかった。 共有と共存、これが生き抜く為のテーマであり、知恵でもあった。 古代人が最も恐れたのは暗闇。 太陽の光が充満する日中と闇に浮かぶ月明かりの夜を別の形で表現するならば「天使と悪魔」が相応しいだろう。 人類に信仰心が芽生え、宗教の原型が出来始めた頃は「太陽」が「神」のシンボルであった。 その「神」が「悪魔」の手によって汚される行為、それが「皆既日食」だったのではないだろうか。 人間は昔ら、自分たちの理解を大きく超える現象に遭遇すると、心に「畏れ」が根付く。 調和によって保たれている宇宙空間に突如として、人類が誕生した訳ではない。 人類も調和の一部であるが、それを乱すのも人類である。 地球がいつまでも青くいられるように、わたしたちは最大限の努力を続けて行かなくてはならない。 次の皆既日食をこの目で無事に見られるように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ニュース] カテゴリの最新記事
|