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吾が輩は野良猫である

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2012.09.27
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カテゴリ:ニュース

 

デモ.jpg
 

 

 たわわに実った果物や野菜、そして米など。実りの秋、収穫の秋がやって来ている。連日続いたあの猛暑が嘘のように、ここ数日は実に涼しく爽やかな秋の風が高い空を吹き抜けて行く。

 そんな自然の営みを余所に、この夏を振り返って見ると、「デモ一色」だったような気がする。「原発再稼働」「脱・原発」そして「オスプレイ配置」などであるが、デモに参加した民衆の呻きにも似た叫び声は、虚構の空に虚しく消えて行った。

 耳栓よろしくそれらの声に全く動ずる事も耳を傾ける事すらしない役人や政治家たちには、幼子の鳴き声ほどにも聞こえなかったのであろう。

 そして今、海外に眼を向ければ言わずと知れた中国の「反日デモ」である。尖閣諸島を取り巻く領土問題でヒートアップする中国の人々。

 9月中旬から8日連続で行われた反日デモは、その一部の民衆が暴徒化し日系企業を襲撃し、店舗などがその荒くれどもに取り囲まれ略奪行為にまで及ぶと言う、これは謂わば一種の戦争状態と言ってもよいほどであった。

 中国による反日デモは過去に何度も繰り返されて来てはいるが、やはりその根底に渦巻いている憎しみは戦争が産み落として行った日本による中国の植民地支配にあるだろう。

 切っ掛けは日本政府による尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化に反発するデモであるが、それが中国の各地に飛び火し、大規模デモに発展した訳である。

 然しながらこのデモを当局が操っていたと言う噂も実しやかに流れており、デモの背景に当然の如く中国上層部が関与している事は明らかである。

 金銭を払ってまでデモに参加させると言う辺りは、実に狡猾な中国の手法であり、そこには何のイデオロギーも存在してはいない。

 反日デモは現在鎮静化してはいるものの、これもまた当局の操作によるものと言う推測の域を出ないのである。

 それに取って変わるように、中国国家海洋局と民政省による発表は尖閣諸島の山・岬などの計26ヶ所に中国独自の地名を付与し公表した。

 この領有権を巡る問題は双方が歩み寄らなければこれからも半永久的に続いて行くと思われるが、アメリカに依存する日本にとっては、自力での外交努力だけで解決する事は皆無であるだろう。

 日本国内で行われた「デモ」は20世紀初頭の頃であるが、江戸時代に勃発した「百姓一揆」もまたデモの部類に入るのではないだろうか。

 原発デモについて言えば、永田町の首相官邸を取り囲んだ民衆の大波は、1960年(昭和35年)に起こった「60年安保闘争」以来であるが、その中身は50年前のものと比べ大きく異なっている。

 つまり政党や労働組合などとは関係なく個人の意思によって人々が一堂に集まる事が多い。インターネットが全国的に普及している現代では、それらのネットを駆使し呼びかけを行うという、まさに現代の情報化時代を象徴した動きであり現象とも言えるだろう。

 然し、そこに本来のデモクラシーは存在しているのだろうか?民主主義を紐解けば、国そのもは国民一人ひとりの集合体であり、国を動かしているのは我々国民と言う事になる。つまり民主主義体制下に於いての権力者は政治家ではなく国民なのだ。

 50年前とは時代も大きく変化し、ある一定の水準を手に入れた日本経済の下で、わたしたちはなりふり構わぬ時代を疾走し、平和と安定した暮らしを手にしたかに見えたが、その対極に犠牲と痛みを伴う忘れ物を残して行った気がしてならない。

 核家族化が訪れ否応なしに人間本来が持つ労いやスキンシップが失われ、傍観者のみが巷に溢れだし、その行く末に待っていたのは孤独死や自殺者が増加する無縁社会である。

 大震災や原発事故によって、それらは曲りなりにも本来の人間性を取り戻してはいるものの、充分だとはとても言い切れないのが現状である。

 日本人と違い、韓国や中国の人々は感情の表現があからさまで時にはそれらに嫌悪感を抱いてしまう事さえあるが今回のデモを見ても分かるように、国内と国外では非常に対照的である。

 日本人の持つ奥ゆかしさは美徳ではあるが、無関心とは全く別である。オリンピックは参加する事に意義があると説いているが、さて、これらの「デモ」についてはどう判断すべきだろうか。





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Last updated  2012.09.27 13:29:23
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