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テーマ:芸能ニュース(18886)
カテゴリ:ニュース
国民的キャラクターとして子どもから大人まで幅広いファン層に絶大な人気を誇った「アンパンマン」の生みの親である「やなせたかし(本名:柳瀬嵩 94歳)」さんが、先日の13日に心不全のため亡くなった。 心不全の症状が出ていた為ブログも暫く休止していたのだが、やなせたかしさんの死因が心不全と言う事であり心なしか穏やかではなかったが、94歳と言う年齢を考えれば大往生ではなかったかと思う。 日本漫画家協会の理事長を長く努め、漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人と多くの肩書きを持つやなせさんと初めて出会ったのはわたしが16歳の時だった。 当時、みつはしちかこさんの「小さな恋のものがたり(チッチとサリー)詩画集」が女子中高生の間でブームとなっており、静岡の書店でも飛ぶように売れてい たと記憶している。この頃、わたしはまだ詩を書くと言うまでには至っていなかったが、手紙を書くのが一つの趣味となっていたため、何人かの相手と「文通」 をしていた。 気に入った女性相手にはやはり気の利いた言葉を綴りたいと思っていたので、そのヒントを得る為に何冊かの本に目を通していた。そんな中で一際目立っていたのがサンリオから出版されていた『詩とメルヘン』であった。 『詩とメルヘン』はやなせたかしさんが編集を担当した文芸雑誌で、一般人が投稿した詩やメルヘンにイラストレーターたちが挿絵をつけるという画期的な雑誌であり人気を博していた。わたしも何冊か購入し文通の手助けとしてお世話になっている。 やなせたかしさんは上記の肩書き以外にも多彩な経歴があり、作詞・作曲も手掛け多分野で活躍しその才能を発揮している。作詞では『手のひらを太陽に』が代 表作品である事は誰もが知るところであるが、「アンパンマン」以前には現在のようにそれほど注目を浴びるには至らなかった。 アンパンマンが初めて登場したのは1969年であるが、その頃のアンパンマンは普通の人間と同じ姿であり、現在のそれとは大きく異なっていた。子どもだっ たわたしの記憶に全く残っていないのは、大人向けの絵本「こどもの絵本」に掲載されていたからだと思うが、当時、親だった人たちの記憶には残っているかも 知れない。 アンパンマンがどのような経緯を辿って現在の人気キャラクターになったのか、アンパンマン生誕44年と言う長い過去を紐解いてみるのも良いかも知れないが、忘れてならないのは「空腹の人にパンを届ける」と言う骨子が誕生から現在まで変わる事なく貫かれている事であろう。 やなせさん自身が語っているように「本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろう、と。そんなヒーローをつくろうと思った」は、やなせさんの戦争体験が背景になっているものと思われる。 食料の乏しい戦地での過酷な体験により、人間にとって最も辛いのは「飢え」であると言い切るやなせさんの言葉は「命の継続」が如何に大切かを教えてくれているのではなだろうか。 遅咲きのヒーロー「アンパンマン」はこれからもわたしたちに愛と勇気を教えてくれるに違いない。 謹んでやなせたかしさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます(合掌)。お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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