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カテゴリ:ヘンリーの人生論あるいは日常生活
広告についての勉強会に参加した時の話。
面白い話が出てきました。 講師の先生は、「預金」「銀行」「金利 0.80%」とデカデカと載っている広告を 日本語がペラペラの外国人留学生に見せたそうです。 ですが、彼らはその広告の意図がわからなかった。 その広告は2003年で、当時「0.80%」という金利は、高金利でした。 でも、その数字が果たして「高い」のか「低い」のか。 それは社会のバックグラウンドがあって、初めて理解できる種類のものだったのです。 社会的常識が異なれば、うまくメッセージが伝わらない、あるいは逆の捉え方をしてしまうこともあり得るのです。 たとえば、瓶に貼られた「ガイコツのラベル」を見て、毒を思い浮かべるとは限らない、先祖の骨が描かれていて敬うものだ、と思う文化だってありうるかも・・・ うーん、こんなのは他にどういうのがあるのか・・・ なーんてことを考えるような、「創造力を鍛える会」ってのを作ろうと、密かにたくらんでおります。 ちなみに、仮称は「ころたま。」です(安直に「コロンブスの卵」から着想)」。 メーリングリストと年数回の1泊合宿で、創造力を鍛えられるような試みをしていこうかと。 ものすごく構想段階なので、なんとも言えないんですが、楽しめるようなものにするつもりなので、企画が現実化したら発表させていただきますので、是非是非ご参加下さい。 さて、話を戻して。 『メッセージの送り手の「どう見せたいか」よりも、受け手の「どう理解されているか」が大事だ。』 これは僕が大学時代にやっていた演劇を通して感じたことです。 演出家「怒りと悲しみを同時に表現して欲しいんだけど」 役者「え?今のは、そういうつもりだったよ」 演出家「うーん。でも、今の、怒っているようにしか見えなかったよ」 役者「でも、ちゃんと悲しみもこめて演技してたからね」 演出家「いや、でも、それが伝わってこなかったんだよ」 役者「でも、こめてたって」 演出家「じゃ、それ、舞台上からお客さんに説明するつもり?」 役者「・・・・・・・・・」 ってことですよね。 「こう見せている」と思い込むのは勝手だけど、 大事なのは、見た人がどう感じるのか。 これは広告だけじゃない。 演劇だけでもない。 人と接すること、 生きるってことだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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