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カテゴリ:Live In The U.S
ういーす!ここ最近毎日夏みたいなんだよね。
今日も誰も来ないとこで日向ぼっこして、BiralのSoul Sista ずっと聴いてました。 今日もAfrican-American Historyの授業だったんだけど、 本当終わったあとはいっつも勇気をもらう。 だけどさーいっつも思うんだけど、私って他の黒人の目にどう映ってるんだろう? 黒人の社会問題・歴史的背景を授業でやっているとき、 ディスカッションがはじまって、意見が自由に飛び交って、 だけどいつも私は蚊帳の外のような気分になる。 私は黒人でもないし、もといアメリカ人でもないし、 10ヶ月前にここに訪れて、自分の意見だってまともに表現できない。 アメリカ黒人の歴史を通して、音楽を見ていきたい、それを勉強したいわたしは 「黒人になりたいアジア人」としか見えてないのかな? わたしなんでアジア人なんだろうとか、いろいろ考えてしまう。 もちろん私は黒人に生まれたかったわけではないし、 日本人のアイディンティティも持っているし、それだって誇ってるつもりだけど、 いろんな意見を持っていたって私はアジア人で、 痛みも苦しみも、はたまた喜びも、理解は出来ても共感することは一生できないんだよね。 HIPHOP聴いてるときもそう。 日本人が日本語の曲を聴くときには、「あー、そうそう、わたしもこんなかんじ」とか、そういうことを思って聴く人が多いと思うんだけど、 HIPHOPに、まずそれはありえない。 まず、日本とアメリカは違いすぎる。 日本には、ほとんどアジア人しかいない。 だから、差別されることの苦しみも、頭脳では理解できても、 それが憤りになったりとか、痛みになったりとか、そんなこと国を出ない限りありえないだろう。 私にとっては、アメリカ黒人の歴史も、自体背景も、 音楽も、社会問題も、すべてが自分の外側で起こっていて、 それが一生入り込めることのないような でかくて分厚い壁でおおわれているように見えて仕方ない。 もちろん、今よりもその壁がもっと高く聳え立っていた時代に、 そこを自力で登ってってその先の景色を見た人もたくさんいると思う。 吉田ルイ子さんも、堂本かおるさんだってそうだし、 泉山真奈美さんもそうだし、 だからようは視点なんだよな。それさえ定まれば、自分がアジア人ってことで 引け目をかんじることも絶対なくなる。 もっともっと勉強したいし、突っ込みたいし、 だからここに来たんだっていっつも言い聞かせてる。 それじゃないともたないから。 やりたいことたくさんあるなぁ。 まだまだ、知らないことばかりだ。 勉強さえすれば、どこにでもいける。 ドアはかならず開ければどこかにつながっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.19 12:52:26
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