読書/『よくわかる山岳信仰』。
どっぷりとこちらの世界に戻ってきておりますが(笑)、今回読んだのは『よくわかる山岳信仰』。タイトルに「よくわかる」と書かれているだけ、いや本当によく分かりました。もちろん、役行者が祖とされる修験道についても書かれてありましたし、役行者自身も別枠でじっくりと記されておりました。本書で知ることができた内容といえば、まず物部氏と蘇我氏に権力があった時期、実はこの両氏よりも天皇は権力がなかったということ。この両者の対立の最たるものが神道をとるか、仏教をとるかという宗教対立なのですが、この時の29代欽明天皇ははっきりとした決断を下すことができていません。決断ができなかったということは他の書籍からも知っていたことなのですが、それはなぜなのかというところまでは踏み込んで書かれていなかったために、私自身よく分かってはいなかったのですが、ヤマト政権の宗主たる地位を占めていなかったとあれば、かなり理論的にも説明がつきます。これは別の角度からも同じことが言え、21代雄略天皇の時にもそれを説明づけるエピソードがあります。それは、一言主神にかしこんだという行為。そして、雄略天皇がかしこんだ一言主神を役行者は顎で使っています。役行者は葛城では一目置かれている一族の出身です。これらのことから「天皇」という地位がまだ確立されていなかったということが見えてくるということです。どれだけ強かったねん、豪族たち!逆に言えば、権力を持たない天皇という制度がなぜ必要だったのかという疑問がでてきますが、まだこれはこれから学んでいきます。また、これまでも何度か役行者は鉱脈を見つけるのが得意だったということをここにメモしていますが、本書では空海もまさにそうであったと記しています。私の見解では空海は役行者に対して推し活をしていたので、その足跡をたどることがイコール鉱脈にも出くわすということと思っていましたが、本書にはそれがきちんと述べれていたのです。私に対してのナイスアシスト(笑)。それどころか、もっと腹黒いことまで書かれてありました(笑)。かなり面白いのでそのまま引用します。空海が高野山に目を付けたのも、この宇山に水銀の鉱床があったことが大きな原因だったといえるのではないだろうか。つまり高野山に寺院を建立してその支配権を握れば、水銀の権益も手にいれることができたのである。もちろん空海にとっては高野山を修行の最適地と考え、ここを拠点に仏教の不況を行って衆生(すべての人々)救済に専念しようという旧教場、新工場の理由が第一義である。しあし、いくら朝廷の援助を受けるにしても、大規模な伽藍を建ててお税の修行僧を養って行くには、座性的基盤がなくてはならない。そこで「高野山に白羽の矢を立てたと思われる。空海に限らず歴史上の高僧は経営的手腕にも優れていたのである。(p175)この説は納得できると思います。理にかなっている。もっと言えば、この高野山から修験道の聖地大峯につながる山道(大峯道)が造られています。それはなぜなのか。一説には空海はこの道から高野山に入ったとも言われていますが、それ以上にやはり大峯には鉱脈があったと考える方が現実的だと思います。ここから高野山に入ったのだとすればよりこの道を途絶えさせてはいけないと空海も考えるでしょう。しかし、真言密教も山岳信仰ではありますが、修験とはまた派が異なってきます。それでもあえて残したとなるとそこには空海にとってプラスになることがあったと考える方が妥当だと思う訳です。そうそう、もっとも面白かったのが、明治維新が修験道をなぜ禁止にしたかという理由。それは宗教統制をすることで為政者が管理しやすくなるということ。とりわけ、修験道は民間信仰も取り入れた独自の宗教体制をもっていたため、市井の人々からの信頼がここに集まっており、それが政府には目障りだったということです。他国のように1本化は出来なくとも「神道」か「仏教」のいづれかにのみの信仰に所属させることで国家神道の普及を進めることが出来ると考えたわけです。でね、本書では「明治維新政府」って記述されているんですけど、この「明治」をとっぱらったら案外今の「維新」だったり「政府」がやっていることとあまり変わらないんですよ、「明治維新政府」が。いや、逆かーー、「政府」だったり「維新」だったりが。このデジャブのような状況をどう捉えるのかと思うとちょっと笑いがこみ上げてきました。とまぁ、他にもなかなか愉快で納得できることが書かれていたので付箋がいっぱいになった位です。そろそろこれら関連本は打ち止めかと思っていたのですが、探しまくってでも読めば、まだまだ考えが及ばない説が出てくるので、もう少し読み漁っていこうと思います。にほんブログ村