読書/『日本美を尋ねる関西4都市の旅』。
『日本美を訪ねる関西4都市の旅』の表紙に「古建築から近代建築まで」という言葉が書かれていて、つい懸造りもあるかもと手にしてみました。「古建築から近代建築」とありましたが、メインは古建築。私の好物の懸造りは「二月堂」と上醍醐の清瀧宮拝殿が掲載されていました♪本書は思ったよりもずっしり感のある内容で、主要なお寺や神社が出ているのですが、ガイドブック観がなくてあくまでも建築という主眼が明確になっていました。各寺社の伽藍の配置図もあり、そしてそれぞれのお寺のどこに目を向ければいいのかということがしっかり説明されていて、懸造りしか知らない私としてはかなり知識を得るものとなりました。主要な寺社が掲載されているとはいえ、ここに掲載されている寺社の全てをお参りしているわけではないので、ここに書かれている説明文は先にも書いたように、ただただ知識を得るものとなってしまうのですが、それでも何度もお参りしているのに知らなかったという情報については他の説明よりも喰いついてしまうわけです。とりわけ醍醐寺はまさにその例のようなもので(笑)。一部引用します。上醍醐は西国三十三ヶ所のひとつで、西国一険しい山道がある。参道を進むと、下醍醐の賑わいから離れた修験の場しての腑に木に満ちてくる。狭い山頂いある上醍醐事務所を過ぎて、最初にあらわれるのは清瀧宮拝殿と本殿である。(p111)そうそう、下醍醐が参拝客でごった返してても、上醍醐までお参りする人の人数は限られていて、いい雰囲気のままなんですよー。もう少し引用します。ここからが、私にとっては大切な部分。開山である聖宝は霊山としての醍醐寺を造ったが、後醍醐天皇、そして豊臣父子らによって醍醐寺は豪華に飾られた。それでも上醍醐は現在まで霊地としての存在を守り通している。逆に後醍醐天皇と豊臣家の支援による新醍醐の存在が、上醍醐の神霊な世界を守ることになり、上醍醐では当初の建築は失われたが、清爽な霊異記として守られ続けている。(p111)なるほどなーと思いました。下醍醐を建造してくれたからこその上醍醐という訳なのですね。上醍醐のみの醍醐寺だと、もしかしたらここまで大型バスが入れるような車道を造って、参拝客が今の下醍醐位の人数がどやどやとなると、神聖な場所が失われてしまうというのは想像が難くないです。豊臣家は醍醐の花見をする位の方々なので、下醍醐のような豪華絢爛に今尚参拝客が来てくれるのは案外願ったりかなったりなのかなともこの文章を読んではじめて思うことができました。これもまた先人たちの思いが受け継がれているということなのかもしれません。他にも霊山寺の懸造りの鐘楼も取り上げられていて、これは嬉しかった。ちなみに、こちらも役行者ゆかりのお寺であります♪にほんブログ村