さて、「怒り」を抑えるというのは、とても難しい。
仕事や、人間関係で、許しがたい人や出来事に
出会うことというのは、当然あることだと思う。
坂月は、さっぱり、マイペースな性格ゆえ
そういうことは、ほとんどないが
先日、ちょっと職場でそういうことがあった。
前々から、かなり苦労させられてきた人物である。
心に抱いた激しい怒りというのは
誰よりも「自分」にとって、猛毒であるということがわかった。
自分の中だけに留め、思い返せば返すほど
どんどん大きくなっていく感じだ。
心の中に、黒い猛毒ガスがもんもんと充満していくような...
正直言って、ものすごいエネルギーを遣った。
それに、かなり辛かった。
最後には、こんな怒りの感情は、忘れられたら
どんなに楽かと思ったくらいである。
「怒り」の感情の、大きな解決策のひとつは
「忘れる」ということであると思う。
しかし、これがなかなか難しい。
怒りの真っただ中にいるときに、「忘れる」という行為は
「相手を許す」ということに等しい。
これがそもそも、許しがたいからである。
忘れる、もしくは気にしないというのは、
今のこの状況を、自分が飲む、ということのように感じられる。
自分は悪くないのに!
そんなのって悔しい!
どれだけのことをしたのか、相手にわからせてやりたい。
そんな思いが、渦巻く。
これがいわば、「怒りへの執着」だと思う。
しまいには、引き金となった相手の言動にではなく
この自分の中の「怒りへの執着」に、苦しむこととなる。
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さて、この日私は、自分の中の怒りに
どうしようもなく辛かったときに、
ずっと前に読んだある本のことを思い出した。
小林正観さんの「この世の悩みがゼロになる」という本である。
「悩み、苦しみをゼロにする方法は、『思いを持たない』ことです」
この場合はどういうことかというと、
(以下、引用します)
「私」がイライラしたとき、初めて目の前に
「イライラさせる人」が出現する。
同じ人が目の前に現れても、「私」がイライラしなかったら
「イライラさせる人」は生まれないし、いない。
「自分が思う」ことで、「イライラさせる人」を出現させているのです。
もし「私」という存在が、目の前の人すべてに対して
「イライラする」ことがなければ、「私」の目の前に
「イライラさせる人」が現れることはありません。
仮に、「イライラする自分」(と同時に「イライラさせる人」)が
出現したとしましょう。
その「イライラさせる人」を変えようと考え、そのように相手を説得しても
ほとんど思うようにはなりません。
相手を変えるのも一つの方法ではありますが、
もっと簡単でラクな、手軽な方法があるのです。
それは「自分」が変わること。
「イライラする私」を、「私」が変えてしまえばよいのです。
そうしたら、目の前から「イライラさせる人」が消滅してしまいます。
この本を買ったのは、一年半ほど前だろうか。
当時も何かに悩んでいたのだろうが、
あのときこの本を買ったのは、今このときの
為だったのかも知れない。
...と、何となく今、思える。
怒りのどん底で思い出せる「教え」をくれた本を、
自分がすでに読んでいて、本当によかった。
私の「自己啓発本好き」も、無駄ではなく
私の中の引き出しに、ちゃあんとなってくれているようである。
こういう捉え方がある。
こういう考え方がある。
それを知っていられるのは、本当に救われる。
これからも、思いのままに本はよく読みたいと思う。
「この世の悩みがゼロになる ~小林正観~」