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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年01月29日
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カテゴリ:サンダー・シング

 今日は3度にわたって、サンダーシングの講演録をお届けしたいと思います。

 1922年3月7日、ローザンヌ市カテドラルにてー

 

 

マルコ12:34

 『イエスは彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。『あなたは神の国から遠くない』 」

 

この男性は、われらが主のものに来て、尋ねました。

「すべての戒めの中で第一のものは何でしょうか」

これに対して主は「心を尽くしてあなたの神である主を愛すること」とお答えになりました。

男は答えて言いました。

『確かに、それはどのような全焼のいけにえや供え物よりも優れています」と。

この人は、救い主の言われたことに反対しなかったように見えますが、彼の答えは心(ハート)からのものではありませんでした。それで主は、「あなたは神の国から遠くない」と言われたのであります。

イエスキリストは、人々の罪を咎めるのが常でありましたが、この人には咎めの言葉はありませんでした。

「あなたは神の国から遠くない」

この人は優れた学者で、衆人の見守る前でこのような言葉をかけられ、喜んだにちがいありません。一見すると、この人は他のパリサイ人や律法学者よりも優れているようにみえますが、そうではありません。

彼は、自分が『神の国の中にいない』ことをむしろ悲しむべきでした。

『近くに』いたのであり、『中に』いなかったからです。この人の宗教は頭のそれであり、心(ハート)の宗教ではありませんでした。頭の事柄は喉をくだって胸にふれることは滅多にありません。彼が胸の奥底から答えていれば、「あなたは神の国の中にいる」と主は言われたはずです。安全であるためには、神の国の近くにではなく、『中に』いなければなりません。神の国から遠い人々は罪の中で死にますが、『神の国の近く』にいる人も同じことです。『近くに』いることは救いにはなりません。神の国の中にいること、神の国を内に持つことが必要なのです。

われらが主のお語りになった十人の乙女の話を考えて見ましょう。5人は婚礼の家の外におり、残りの5人は内にいました。5人の愚かな乙女たちは、長いこと外で戸をたたき続けました。中にいる人が、「あなたがは婚礼の家から遠くないので幸いです」と声をかけたとすれば、『近くにいることが何になるというのでしょうか。わたしたちは中にはいません。いっしょに歌うこともできません。」と彼女たちは答えたことでしょう。神の国の近くにいるだけでは十分ではないのです。

何年か前に旅をしていたときに、わたしは、狩に出た猟師の話を度々聞かされました。その場所は、ライオンなど野獣が多く生息している場所でした。彼は銃を取り出して、遠くにいるライオンめがけて発射しました。しかし、弾はそれ、ライオンに追われる立場になりました。幸いなことに、旅行者用の小屋があったため、そこに向かって走りました。しかし、彼は、鍵を持っていませんでした。小屋の近くまで来て、鍵を探しましたが、見つけることができません。ついに戸の前に立ち尽くす彼に、ライオンは飛び掛り、彼を殺してしまいました。この人が、家の中にいれば安全でしたが、外にいたために、生命を奪われたのです。同じように、サタンは吠えたけるししのように、われわれを追っています。私たちが神の国の中にいなければ。サタンは私たちを襲い、いのちを奪うのです。

 

先ほど、お話した律法学者のように、イエス・キリストを敬うクリスチャンは多くいます。『これは素晴らしい真理だ。素晴らしい教えだ。」と彼らは言いますが、頭で敬うだけでは十分ではありません。誠心誠意敬わなければならないのです。神の国の中にいなければ、わたしたちは安全ではないのです。

ノアの時代、人々は大洪水が起こることを信じることができませんでした。罪を悔い改めなければならないと説くノアにむかって、人々はいいました。

『彼は正気ではない。すっかり老いぼれて、頭がいかれている」と。

他にも大工たちがいました。かなりの数だったとおもわれますが、彼らも大洪水についてのノアの話を、信じてはいませんでした。『大洪水を信じてはいないというのに、なぜ働くのですか」と人々が尋ねると、彼らは『賃金のためです』と答えました。彼らは信じていませんでした。しかし、いざ、大洪水がきて、大水を見たときには、恐怖に駆られたにちがいありません。山に逃げ、泳いでも、安全な場所はありませんでした。泳げる人は箱舟を見て近寄り、戸をたたきました。「戸をあけてください」しかし、不幸なことに、誰も戸をあけられませんでした。戸を閉じたのは神であり、ノアではなかったからです。ノアが戸を閉じたのであれば開けることもできたでしょう。大工の中には『箱舟を建造する助けをしたのです。わたしは中に入る権利があります」と叫んだ者もいたはずです。ノアはこう答えたことでしょう。

『神の箱舟を手助けをしたときに、あなたは信じてはいませんでした。もはや遅すぎます。人々と箱舟の内側との距離は戸の厚さしかありませんでした。そのように近くにいるということだけでは、何の役にも立たないのです。先の律法学者は「あなたは遠くない」とキリストが言われたときの真意を理解していれば、悲しんだに違いありません。自分が危険な立場にいることを悟ったはずです。

今日、キリスト教国と称する国々の中には、キリストの教えを讃え、神の国の近くにいる特権を持っている人々が多くいますが、彼らは5人の愚かな娘のように歯がみすることでしょう。近くにいるというだけで、神の王国の中にいなかったからです。よくよく注意しなければなりません。私たちは神の国に入らなければならないのです。どうすれば神の国にはいることができるでしょうか。祈りにおいて他にみちはありません。祈りは天への鍵であります。祈れば、天は私たちに向かって開かれます。祈ればわたしたちは主と共にあり、あらゆる種類の危険から守られます。私たちは主の中におり、主は私たちの中にいます。私たちは主を見、人生の中に主が臨在することを実感するでしょう。私たちの目は多くのものを見ることができます。目薬は瓶の中にあれば見ることができますが、目の中に入れば見ることができません。しかし、その感触はあり、『目薬をさしている』と人は言うでしょう。そのように、主が体をもってパレスチナを歩まれた時には、人々は主を見ることができました。しかし,今や、心の中に生きられる主を、私たちはみることができません。

目薬と同じく、主は私たちの霊的なめをあらゆる罪の汚れから清めてくださいます。目には見えずとも、主の臨在を感じ取ることができます。

『感じる』とは生けるキリストの実在を実感し、「今や、自分は神の国の中にあり、神の国はわが内にある』と主について証できる、という意味であります。

そのときに、私たちは地上天を見るでありましょう。そのとき私たちは死後天国にいることだけを望むだけでなく、

「私は今の生において天国にいる。わたしは主の中にいるからだ」といえるようになるでしょう。

 






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最終更新日  2008年02月19日 23時57分48秒
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