カテゴリ:サンダー・シング
1920年、英国滞在中に、私は死の床にある男性の見舞いを頼まれた。時間がなかったので、最初は断ったが、「是非とも行って会うと良いでしょう。あなたのためになります」と神の人が言ったため、見舞いに行くことにした。 彼は極貧の人で、世話をする娘と2人だけで暮らしていた。全身が病に冒され、長い年月の間、苦しみ続けていた。体はすっかり衰弱し、まるで骸骨のようである。しかし、彼の瞳は星のように光り輝いていた。彼はこう語った。「あなたは私に教えるためにこられたのですか。しかし、教えたいのは私のほうです。人々は苦しみの最中では真の幸福はもてないといいますが、私は神に感謝しているのです。わたしは、長い苦しみの中にあっても、驚くべく幸せを見ています。それは、国王が宮殿にいても得られないほどの歓びです。」 かれは、体は衰弱しきっているように見えましたが、顔は天使のように輝き、目には天国があった。 「私はもう直ぐ死ぬでしょう。どうか、皆にいってください。わたしは死ぬのではありません。真の意味で生きようとしているのです。」 わたしは、行って彼の歓びのメッセージを人々に伝えた。伝え終わった時に、彼が死んだ事を聞かされた。この人は、死の直前に驚くほどの歓びをもって、人々にこう語ったという。 「私は天使たちとともに、救い主にお会いするために行きます。救い主と共に住むために」 しかし、人々はこれを理解する事が出来なかった。この世の人々は、この貧しい男がもてたような歓びに与ることが出来ないのである。
あるとき、わたしは、祭司と共にハンセン病者を見舞いに行った。友は病人に 「可哀想に。あなたの苦しみを見るのはとても辛い。」と声をかけたが、相手の答えを聞いていたく驚いた。 「あなたは悲しみばかりを思っておられるが、わたしはこころが素晴らしい平和に満たされたいることを、神に感謝しています。自分がこのような病にかかっている事についても感謝しているのです。」 私はこの男が、難病である事に感謝しているときいて驚かされたが、彼はさらにこう付け加えたのである。 「自分が健康体だったら、きっと、人殺しや盗賊になっていたことでしょう。しかし、私はこの病を通して、罪という病を知ったのです。肉体の病から癒されること、今は願ってはいません。わたしは霊的な病を癒されて、今や、イエスキリストにある歓びを発見したのですから。」この貧しい人は、言葉には尽くすことの出来ない歓喜を持っていた。言葉には出ずとも、彼の涙がそれを静かに物語っていた。キリストは貧しいものに福音を伝えるためにこられたが、貧しい人はそれを身をもって知るのである。 わたしはともにいた祭司は、この貧しい病人ほどの幸せを得てはいないと思った。そして、富める人、健康な人の多くもまた、貧しい人ほどに幸せではないと知った。本の中にではなく、生けるキリストの中に貧しい人への福音があることは、経験が証明している。
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