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2008年02月14日
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カテゴリ:サンダー・シング

彼はラサルという町で伝道したが、ラマ僧侶に捕らえられ、深井戸に落とされるという経験を通る。

サンダー・シングの伝記作家の一人レベッカ・パーカー夫人が、このときの体験を直接サンダーから聞き、伝記にまとめた。

 

 「ラサルと呼ばれる町で、彼は捕らえられ、キリストの教えを説いたかどにより、ラマ僧の前に引き立てられた。彼は有罪とされ、他の罪人たちとともに処刑所に連行された。チベットでは、2種類のよく知られた刑罰がある。濡れたヤクの皮でぐるぐる巻きにし、死ぬまで天日にさらす方法、それに、乾いた井戸に放り込み、井戸の口を頑丈に閉めるやり方である。サードゥーには後者の方法が割り当てられた。

 場所に着くと、彼は衣類を脱がされて、乱暴に深井戸の底に放り込まれた。このため、右手が骨折したほどである。彼以前にも多数の人がこの井戸に放り込まれ、一人も出た者がいなかったため、下は人骨と腐肉の山であった。死んだ方がはるかにましだった。どこに手を延ばしても、腐肉に当たり、しかも、死ぬほどひどい臭気を放っていた。このとき、「なぜ、わたしを見捨てられたのですか」というキリストのことばが自然に出てきた。

 やがて夜が来た。井戸の中は全く変わらず、眠って休む事もできなかった。食糧も水もないまま日を重ね、これで最後かと思った。3日目の夜になり、祈りの中で神に叫んでいたちょうどそのときに、頭上で {ギィー}という音を聞いた。何者かが、この恐怖の牢獄の蓋を開けようとしていたのである。鍵が回され、重い鉄の蓋が外される音が聞こえた。すると、井戸の上から、ロープを下ろすからそれにつかまれとの声が聞こえた。ロープが下りてくると彼は残る力を振り絞ってこれにつかまり、この邪悪な場所から、外の新鮮な空気の中へ引っ張りあげられた。

 井戸の上にくると、ふたたび蓋が閉ざされて鍵のかけられる音がした。だが、彼が見回してみると、救出者の姿はどこにもなかった。すでに腕の痛みは癒えていた。彼にできたことは、このような不思議な救いに対して神に感謝する事だけであった。朝になり、彼は町に戻ってサライ(休憩所)で休み、次の伝道に備えた。町は彼が蘇って伝道を開始したので大騒ぎになった。死んだとばかり思っていた男が、元気で説教しているという知らせは、すぐに僧院にも飛び火した。

 サンダーはふたたび逮捕され、ラマの元に引き立てられた。何が起こったのかと聞かれ、彼は自分の体験した奇跡的救出の話を伝えた。ラマはこの話に激怒し、

「何者かが井戸の鍵を盗んでこの男を助けたに違いない。」と大声をだした。そして鍵を探させたが、その鍵が自分の帯に収まっていたことを知ったとき、驚きと恐怖で声がでなくなった。それから、彼はサンダーに早く町を去り、できるだけ遠くに行ってほしい、そうしないと、彼の力ある神が、自分やこの町の人々に災いをもたらしかねない、と願いでた。

 

そして、サンダーシング自身は、この体験をこのように語って証している。

「体の苦しみは大変なものだったが、霊において、わたしは幸せだった。わたしは神に祈り、神の歓びがわたしのハートに流れ込み、満たしてくださったために、自分の置かれた忌まわしき環境を忘れてしまっていた。無上の平和がわたしの心を満たした。それは言葉に表せないほどの甘美なものであった。祈りを通してキリストの平和の恵みを、この3日間ほど強く感じた事はない。深井戸は主の平和によって天界の門と化した。漆黒の闇の中、腐肉と骸骨と悪臭の中で、主の平和に浴することがいかにして可能であろうか。このような歓喜、このような平和はこの世の何者からも来ないのである。神のみがそれを与える事ができるのだ。この井戸の中で座っていた間、贅沢と安楽に満ちていた、父の家にいたときにも、これほどの幸せは感じた事がなかったと、思い返した。この地獄のような場所で溢るるほどの歓喜はどこからくるのであろうか?わたしはこのときほどはっきりと、イエスが生きておられることを感じたことはない。主が、わたしの心を平和と歓喜で満たしてくださったのである」

人は何不自由ない平穏無事な生活をしている時に平和を感じのは当然である。また、多少とも辛い時に、自己暗示をかけて辛さを一時免れることもできよう。しかし、サンダーシングのように、拷問と死刑に直面したときに生まれる無上の平和は、人間を超えたところからくる。イエス・キリストが人類の罪のために残酷な十字架を背負い、それによって栄光の復活を遂げ、死の象徴であった十字架を、永遠の生命の象徴に化えられたように、キリストのために負う重い十字架そのものが、負う人を栄光の中で復活させる力となるのである。






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最終更新日  2008年02月14日 07時45分55秒
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