カテゴリ:サンダー・シング
弟子~ 「次のような質問がよく聞かれます。『神がわたしたちに必要なものをよく知っていて、善人にも悪人にも最善の方法でそれを供給する事を心得ているなら、それについて祈る必要がなにではないか。自分の必要としているものが、一時的なものであれ、霊的なものであれ、祈りによって神の意思を変えることができるのだろうか』と。
キリスト~ 一、 「そのような質問をする人は、祈りが何であるかを知ってはいないのである。このような人々は、祈りに満ちた生活をしたことがないのだ。でなければ、神に捧げる祈りが物乞いとは違うことがわかったはずである。人生に必要なものを神から得ようとするのは祈りではない。生命の造り手であられる神ご自身をとらえることが祈りである。そして、生命の本源である神を見つけ神との交わりに入ったときこそ、生のすべてが自分のものとなり、神とともに生を完全にするすべてのものを手にできる。神は悪人に対しても、彼らへの憐れみから、この世で生きる必要なものをお与えになっているが、霊的な必要物は一切お示しにならない。彼らは霊的生活を送らないからである。 たとえ、霊的な祝福をお与えになっても、彼らにはそれを味わうことができないであろう。だが、信じる者にはどちらの賜物をも、とりわけ霊的な賜物をお与えになる。とはいえこの人々はこの世の賜物にはほとんど目もくれず、目に見えない霊的な賜物に愛を集中する。人は神の聖旨を変えることはできないが、祈りの人は神の聖旨が自分に働きかけてくださっているのを発見する。というのも、神はこのような人々の胸の密室で自らを開示され、聖なる交わりをもたれるからである。そして、神の恵み深き目的が彼らのためであることが示される時、彼らを覆っていた疑いや困難は永久に除かれる。
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