カテゴリ:サンダー・シング
主に接ぎ木される
私たちは、キリストに接ぎ木されなければならない。その時のみ、私たちは実を結ぶことができるのである。世には、とげだらけの人生を送る人々がいるが、主イエス・キリストを信じることによって、彼らは実を結ぶようになる。 あるとき、私は、山の中でとげだらけの木を目にした。「この木を実り豊かな木に変えてみせる」とその木を世話する男が言った。数年後、私はふたたび木を見に行った。驚いたことに、木は、とげの代わりに見事な実を付けていた。このようなことが、いかにして可能であろうか。この問いに対して、彼は良い木をこの木に接ぎ木した。成長するにつれて、とげは少しづつ消え、今や良い枝がよい実を結んだのだと答えた。 この出来事は、イエスが私たちにされている救いの働きを理解するのに役立った。とげだらけの木に接がれた良い枝が、木全体に新生命をもたらし、それを実り豊かな木に変えしめたように、キリストは新生命を私たちに分与してくださるのである。主は、その尊い御血を私たちの胸に注がれるばかりか、私たちを聖霊の実を結ぶことのできる新しい生き物に変えてくださるのである。新しい生命が内に形成されるにつれて、とげは消え、果実が実る。新しく生まれるとは、とげの木が新しい枝から樹液を吸い、新しい木となるように、キリストの活ける力を魂のなかに受け入れることである。 私たちは、主のみ言葉、主のみ教えを受けるだけではなく、主の御血を、いいかえれば主の犠牲の死から流れだす力を受け取るのである。この力を通して、私たちは主につながれ、新しい生き物となるのである。そのように、恵み深き主は、私たちの手を取られ、実り豊かにしてくださる。主は、すべての人のために来られ、あの木のように罪人を聖人に変えてくださるのである。 かつて、バルキスタンに、多くの人の命を奪った追いはぎが住んでいた。この男を一目見れば、改心させることは到底不可能と誰もが思うであろう。その彼が、主イエス・キリストの話を聞いて大変化を遂げた。あまりの変わりように、「いったい何事が起きたのか」と誰もが言い合った。男は答えた。 「自分が変えたのではありません。自分を変えてくださったのは、イエス・キリストです。キリストが、私の生命の中に入り、このように変えてくださったのです。私自身、とても驚いています。主は、このような変化によって、今も、私のために天国を造ってくださっています。人殺しであった自分が、今は正しい人間になっているのです。」 主が見たいと思われている果実とは何であろうか。それは、私たちが差し出すことのできるもの、私たちの行い、生活という果実なのである。インドでは、人は善行をすれば善人になれると教えているが、これに対して、「まず善くなりなさい。そうすれば善が行えるようになる」がキリストの教えである。主イエス・キリストと聖書を通して、あなたは善くなり、善いことができるようになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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