カテゴリ:サンダー・シング
キリスト教国と称する国々には、主を愛する忠実なクリスチャンも多くいますが、クリスチャンと言いながら、サタンの代理人にすぎない人々も多数います。キリストの神性を否定し、主とともに生きたことのない人々がそれです。彼らは、われわれに何のメッセージも持っていません。語るべきものを何一つ持ち合わせません。イエス・キリストを通して文明を受け、教育を受け、物質的恩恵を受けていながら、彼らは主を否定しているのです。 「わたしとともにパンを食べたものが、わたしに向かって踵を上げる」とキリストが言われたとおりであります。主に向かって踵を上げた結果、彼らは知識の木に自分を吊るすことになるでしょう。 主に対し忠実で、主とともに生き、イエス・キリストが誰かを知る人々、彼らだけが、行って、イエス・キリストの真実を人々に告げることが出来るのです。 神の御恵みによって主の異象を見ていなかったならば、主の奇跡の御わざを目にすることがなかったならば、わたしも書物を読むことによって、[霊的熱病」にかかり、信仰をぐらつかせていたかもしれません。書物が役に立つこともあります。たとえ魔物の間に住もうとも、何かを学び取ることは出来ます。しかし、十分に強い信仰を持っていなければ、あなたがたが魔物になってしまうのです。 若い人たちには、このように助言しましょう。主の聖務に加わる準備をするのであれば、あなたがたは個人的に主を知り、自分がだれのために働こうとしているのかを、知らなければなりません。キリストについての研究をするというだけであれば、生けるキリストを見失い、生命なき研究に終わります。そこにあるのは干からびた骨だけで、他に何ものも残されていません。こうしたことを知るのも、時には役立つでしょう。今の世界の哲学の立場にも、それなりの根拠はあります。神の言葉を批判する方法を知ることも、役立つかもしれません。しかし、そこには祝福がありません。私の知人についてお話をすれば、もっとわかりやすくなると思います。 4年ほど前に、わたしは名高い化学者と対談していました。 「聖書についてすべてを知るのはとても有益だ。その各部を分析することも」 と彼は述べ、説明をするためにミルク瓶を手に取り、 「さて、この中にどれほど多くの糖分、その他のものが入っているか」と成分分析に入り、すべてを分析して見せました。 満足気な彼に、私はいいました。 「非常に興味深い。これに反対は出来ませんが、あなたの3歳のお子さんの方がずっと優れています。この子はミルクの分析はできない。しかし、それを飲み、体験からミルクが甘いことを知っているし、飲むことによって日々強い子に成長しているではありませんか。子供は、ミルクの成分を知らなくても、大切なことを2つ知っています。ミルクは甘いということ、飲めば強く育つということです。あなたはミルクを分析しただけで、そこから何の恩恵も得ていないばかりか、ミルクを腐らせてしまっています」 神の言葉を分析できる化学者は大勢います。[これパレスチナのこと、これはギリシャのこと、等々」と彼らは語ります。彼らは色々なやり方で、それについてたくさんの事柄を解説してみせますが、霊的なミルクをけっして飲みません。彼らは分析するだけで、神の言葉を飲まないため、誘惑を克服する十分な強さを得られずにいます。聖書の批判研究に大きな危険があるというのはこのためです。子供を抱いて「天国とはこのようなものです」といわれた主は、このことをよくご存知でありました。あなたがたは、手にとって飲む子供のようでなければなりません。子供のような信仰を持つ人々は奇蹟的な働きをしています。彼らは聖霊の力に動かされ、他の人々の心を動かします。学者は頭をひねり、他人の頭にしか触れません。しかし、心から出てくるものは心に触れます。心の造り手である主は、人の心に触れるのです。そうなるのは祈りの中で、主とともに静かな時を過ごすときです。その時に、心はわれわれの主であり、王の王であられる方の座となります。そこにおいて、主は心の言葉で霊魂に語りかけ、多くの驚くべき事柄を啓示され、私たちは主の栄光を見、多くのことを理解します。このようなことは霊的経験を通してのみ可能なのです。
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