カテゴリ:コーリー・テン・ブーム
DVD中のコーリー・テン・ブームの証より抜粋。
「今からお見せする映像は、受刑者たちのために特別に作られたものです。 神様は世界中の刑務所で奇蹟を起こしています。今、この瞬間も多くの囚人たちがイエス様に救いを求めています。 祈り続ける重要性を示唆しながら、何百もの刑務所で上映されています。これを見るときは覚えていてください。囚人は必ず牢屋にいるとは限りません。イエス様に人生を委ねられない人たちは、彼らもある意味、何かにとらわれています。 多くの人たちは苦しみと憎しみの感情に縛られ、あるいは利己的になってしまったり、悩みや間違った人生観、傲慢さにとらわれているのです。 この映像を通じてあなたがたに、主の御言葉が届くように心から祈ります。 Corrie ten Boom 「私はコーリー・テン・ブーム。人は「主のための放浪者」呼んでいます。それはきっと私が64ヶ国で、キリストの福音を伝えているからでしょう。ベトナムでは2倍年取ったおばあちゃん、そう見えるかしら? 確かに私は年老いています。でも刑務所の仲間の人格を判断してはいけません。牢獄にとらわれるということがどんなことか私にも分かります。私が53歳のとき初めて刑務所に入りました。あれは1944年のことだった。第二次世界大戦の真っ最中です。あなたたちは生まれてもいないですね。大昔のことだけど、事実には変わりない。 ヒトラーの軍がオランダに攻め入って5日間の戦闘の後、私たちは降伏し、そしてドイツの支配下に置かれました。他の占領国と同じように、反ユダヤ人政策をとられ、毒に満ちた宣伝活動が行われました。忠誠なオランダ市民の私たちは‘オランダ人 と‘ユダヤ人 に分けられてしまい、隣人や友人がどこかに連行され、帰らぬ人となっていきました。 2年以上地下組織の一員として、私たちはナチスの大量虐殺を逃れたユダヤ人を家にかくまいました。けれど、1944年2月28日、密告者により私たちの活動はゲシュタポに伝わり、家族は兵士に連行されてゆきました。最初の一週間は4,5人と一緒に収容されました。私が胸膜炎で具合いが悪くなると、刑務所の医師は肺結核の可能性を恐れ、私を独房にいれ、隔離することにしました。他の収容者が感染しないようにするためです。 あの時、私は人生で初めて本当の孤独を味わいました。私の命も侵略者の手中にあったのです。殺されるか、拷問にあうか そのまま放って置かれるのか、知る術もありませんでした。 夜は厚い壁を通し 遠くで爆音が鳴り響くのが聞こえ、ゲシュタポの拷問による悲鳴も聞こえました。 地獄絵図を見るようでした。私が歌うと守衛が扉をたたいて止めました。闇の監房に入れられるときも脅され・・・闇の監房では水の中で立たされるのです。時の流れは遅くなり、耐え難いものになります。いつ彼らが私を連れにきてもおかしくない状態でした。 独房の外で足音が聞こえるたびに「私を拷問にかけるの?私を殺すの?」と思いました。 ある日独房の壁を背に立ちすくみ、あまりの恐怖にいたたまれず、壁を押しのけられたらと手を広げました。 「主よ、私には試練に耐える力はありません。信仰心も強くありません。」 すると何日か前から見かけていた蟻を見つけました。 濡れた布で床を拭くとその水滴を感じた蟻は、壁にあいた小さな穴にあわてて駆け込んでいきました。濡れた布も自分の足の細さも気にする間もなく、隠れ家に一直線。 「 コーリー。 蟻の足のようなか細い信仰心を気にするな。 彼らの残酷な所業のことも考えるな。 わたしがお前の隠れ家だ。 壁に隠れた蟻のように お前も私に隠れればいい。」 それを聞き、初めて心が安らかになりました。 当時、私は53歳でした。イエス様を知っていたけど、独房の中で理解するようになりました。イエス様は暗闇の中に光を灯して下さるお方だと。 誰もが勇気をなくすことがあるでしょうけど、あなたは他の人のためではなく、主とあなた自身のために生きているのだと そして聖書を読み、イエス様の御言葉である「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのところに来なさい。休ませてあげよう」これを信じれば誰かがあなたを気にかけ、一人の人間として心配していてくれると気づくでしょう。 聖書は空想物語ではなく、哲学書でも、想像の産物でもない、真実を語っています。 イエス様がその御霊を通し、ここ地球に私たちと共におられるという偉大なる事実を物語っています。 これを見て(姉の写真を見せながら・・・)彼女が姉のベッチィ。私と同じ収容所にいたけど、会うことはできませんでした。数ヵ月後、オランダの大型刑務所に移動させられ、そしてそこから、牛のように貨物車で運ばれ、ドイツのはずれに収容されました。 ナチスは各地の刑務所から、囚人たちを男女を別々に収容所に送りました。私と姉は何千もの囚人たちと共にラベンズブルックに送られました。そこは強制労働収容所でした。収容所につくと私たちは身包みはがされました。私は聖書を背中にあててドレスの中に隠しました。 「主よ、天使を送って私をお守りください」と祈り、天使は透明だから私を隠すことはできないと気づき、見つかることを恐れました。恐怖におびえながら祈りました。 「主よ、今日だけ天使を不透明にし、私をお隠しください。」 祈りは通じました。前にいた女性の後、私の後ろにいた姉が調べられ、私は調べられませんでした。 収容所のバラックは200人用だったけど、700人もの人たちが詰め込まれました。寝台は天上にまでそびえたち、一人数センチの幅で寝ました。壊れたトイレも含めると全部で8つ。神の御言葉を伝えるのは禁じられていました。守衛に見つかれば惨殺されます。でも一日2回の第28班の聖書読書会が、守衛に見つからなかったのはノミとシラミのおかげで、守衛が部屋に入ることがなかったからです。主は天使としらみを使われ、聖書をお守りくださいました。生活は快適ではありませんでした。悲観したときもありました。ある夜、バラックの外にいると、美しい星が光っていました。そして私はこう呼びかけました。 「主よ、あなたはどんな星でも見放さないのに、わたしとベッチィを見放されました。」 すると、ベッチィは 「いいえ、見放しません。聖書の中でイエス様は、(世の終わりまで私たちと共にいる。)と言われました。一緒に居られることを信じて感じるのではなく、信じるのです。」 そして私はゆっくりと自分自身と、信仰心や感情と、主を信じることを学んでいったのです。感情には起伏があり、あてになりません。聖書の御言葉が私たちを地獄から守ったのです。 続く~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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