カテゴリ:アンドリュー・マーレー
パラダイスの中の2本の木 もしアダムがいのちの木から食べていたとすれば、彼は、神が生ける力によって彼のために備えておられたすべてのよいものを受け、そして知っていたことでしょう。そして彼は悪から全く解放されることによってのみ、悪を知っていたことでしょう。しかし、エバは知識のための欲に迷わされました。「賢くするというその木はいかにも好ましかった。」こうして人類は善についてそれを所有することなしにその知識だけを受けました。善についての知識を、その反対物である悪からのみ受けたのです。そしてその日以来、人類はいのちの中よりも知識の中に、自分の宗教を探し続けているのです。 真の知識を与えるのは、いのち、経験、そして神のそのみこころの所有のみです。 知性の知識はいのちを与えることはできません。 「たとい私が、・・・あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ・・・ていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。」 私たちがこの危険に会うのは私たちが日々聖書を読むときにおいてです。私たちはそれに直面し、それを征服しなければなりません。私たちは、人間的な意味で神の言葉を聞き、理解するには知性を必要とします。しかし、知性による真理の所有は、聖霊がそれを心の中でいのちとし、真理としてくださるのでなければ、私たちに益を与えることはあり得ないとことを知る必要があります。私たちは私たちの心を明け渡し、静かな服従と信仰を持って、神が御霊によって私たちのうちに働いてくださるのを待つ必要があります。 このことが聖い習慣となるにつれて、私たちは知性と心が完全に調和を保って働く技術を学ぶことでしょう。そして、頭脳の働きの一つ一つに、それに対応する心の働き~聖霊の教えを待ち望み、それに耳を傾ける心の働き~が常に伴うことでしょう。 いのちと知識 より アンドリュー・マーレー
。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。 信仰を持つようになって購入した本。もう何年もの間、本棚でほこりをかぶっていた本だった。しかし本当にほこりをかぶっていたのは私のほうだった。 何と曇った目、見えない目で読んでいた・・いえ、見えないということすらも知らないで、それでもって見えると思って読んでいた。 「真の知識を与えるのは、いのち、経験、そして神とその御心の所有、・・・・聖霊がそれを心の中でいのちとし、真理としてくださる・・ことによる。 人類はいのちの中よりも、知識の中に自分の宗教を探し続けている。」 まさに!だ 聖霊が心の中でいのちとし、真理とする。私たちの心を明け渡し、静かな服従と信仰を持って神が御霊によって私たちのうちに働く、それは 十字架の死と復活、神ご自身がいのちへと移してくださることによる。 真の知識とは、ただ、聖書の御言葉についての分析やギリシャ語に精通することではない。霊のことは、霊によって、いのちのことは、いのちによってのみ、真に理解される いのち、経験、神とそのみこころ、すべては恵みによる。 そして真の知識から流れる証は、いつの時代を経たとしても、求める者にたどり着き、いのちの水を呼び覚ます呼び水、その人のいのちを呼び起こす力となるからだ。
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