約20年前のほぼ同じ時期にくも膜下出血で倒れた同級生2人の明と暗。
高校の野球部、2年生の時に野球部員が8名、バスケットボール部の3年生がやむなく野球部員となり、漸く京都府の大会に出場、それでも後にも先にもたったの一度だけ夏の甲子園に出場、その頃は同窓会名簿が作成されていず、寄付集めに困難、もし勝ち上がればという不安、急遽、同窓会名簿作成委員会を立ち上げ、しかし1回戦で大差負け、同窓会名簿はその10年後くらいに漸く作成された、甲子園へ出場した年には他校で野球部の監督経験のある先生が野球部の監督、オレの高校時代は、野球部員といっても野球をするのにかつかつの人数、野球部の監督といっても野球経験もなく形だけの野球部の監督、大会の前になると野球部の監督がノックの練習、長年野球部の監督のためにノックは上手くなる、最後にキャッチャーフライを幾つか打ち上げて終了、ところがそのキャッチャーフライが上手く打ち上げられない、何度も試みるが上手くいかない、スタンドからは、「投げろ、投げろ」、のコール、ようしとばかりにキャッチャフライをノックではなく、投げて試合前の練習を終了、応援に行っても戦う前に敗れた気分、試合前のノック練習中にくも膜下出血で倒れて、昨日の未明に亡くなった、読売ジャイアンツの木村拓也コーチ、ピッチャ以外の全てのポジションを経験した、スーパーサブ、マルチプレーヤー、スイッチヒッター、器用な選手であったが、今年からジャイアンツのコーチ、キャッチャーフライが上手く打ち上げられないと悩み、練習をしていたとも聞く、日本史の先生で形だけの野球部の監督、守備練習の時に、ノックでキャッチャーフライを打ち上げられなくても、応援するものまでシュンとなる事はなかった、政治家などはいとも簡単に、「命をかけて」、「命がけ」、「身命をとして」、口にはするが、その痕跡は無いが、木村コーチはそんな言葉は口にはしなかったが、37歳という若さで、プレーのスタイルは、所謂玄人好みのいぶし銀のプレーだったが、多くの野球フアンの記憶に残る壮絶な生き様、死に様、今年のセリーグのペナントレースはジャイアンツのブッ千切りの独走予想が、スタートダッシュに失敗気味、木村コーチの突然の死が、火をつけることになりそうな気がする。 今から約20年余り前、45歳の頃に同級生の2人が突然のくも膜下出血で倒れた、1人は、同級生で4人だけが未婚の女性で、4人に共通していたのが背が高く、すらりとしたスタイルで、そのうちの1人が、その年は町内の組長、8月の20日過ぎ、朝早くから地蔵盆の準備、京都は地蔵信仰が篤い土地で、現在でも殆どの町内に1つか、2つの地蔵菩薩が小さな祠に入れられて、祀られていて、地蔵菩薩と大日如来が祭られている町内もあり、各町内では輪番制で、地蔵当番というものがあり、順番がまわってくると、約1週間の間、祠の掃除、水の取替え、お供えの花の取替えなどをして、お地蔵さんを守っていく、お地蔵さんは延命地蔵で、町内の子供達の守り神、お年寄りの人は毎日キチンと拝んでいるが、オレはというと家の北側、3件隣の前にある、前を通る時に、帽子のひさしに手をかけて軽く会釈をして、おはようございますと挨拶をして通り過ぎていく、町内のお地蔵さんはそんな存在である、8月23日、お地蔵さんの縁日の日に、(最近では町内の世話役の人の都合上、この近辺の土曜日と日曜日の日)、京都の子供達にとっては夏休みの最後のイベントになる、まずテントを張って、祭壇を作って、お地蔵さんをきれいに洗って、新しい前掛けに変えて、飾り付けて、お膳、お花、お供えをして、テントの周りに各家庭の子供の名前のはいった地蔵盆用の提灯をぶら下げて、下には毛氈を敷いて子供の遊び場、道には地蔵盆の開催中につき通行止めの看板、午前10時頃に近所のお寺からおまいり、これが地蔵盆のスタート、午前と午後にオヤツ、昼には軽食、福引、ヨーヨーつりやゲーム、夜には花火、大人は料理を持ち寄って外で足洗いの宴会、最近では子供が外で遊ぶ事は珍しくなっているが、この地蔵盆の2日間だけは例外、克って新築の205世帯のマンションに入居の時に、最初の管理組合の総会、この時に年間行事に地蔵盆の開催が提案、地蔵盆は宗教行事につき、と異論が出て、苦肉の策で、「子供夏祭り」、という名称で、宗教色を一切排除した類似のイベントを開催することとなり、現在に至っているがこれは珍しい事で、普通の町内ではお地蔵さんの当番とこの地蔵盆開催とその世話は、お地蔵さんの飾りつけとお寺のお参りはあるが、宗教行事というよりも、むしろ伝統行事として捉えられており、宗教上の理由で不参加とか、手伝いが出来ないという事は無いようである、町内会長、町内副会長、会計の町内の3役、組長が主力となってこの地蔵盆の準備、同級生の彼女もその準備の手伝い、準備の終わりかけていた時に振り向いた途端に、頭を押さえてバッタリと、すぐに救急車を呼ぶが、即死状態であったといわれている。 もう1人は消防署に勤務する男性で、仕事中に消防署の中で打ち合わせ中にくも膜下出血で倒れる、倒れたのは2階、1階には救急車がある、すぐに救急車で病院へ搬送、集中治療室で治療、翌日に出血した反対側でも出血、それでも一命を取り留めることになり、身体は回復したが、記憶喪失、字が読めない、話が出来ない、字を読むことと話をすることのリハビリ、その甲斐があって、同窓会の幹事、同窓会の開催の挨拶、実に堂々と、ユックリとした話し振り、言葉は明瞭、「彼はこんなに話が上手だったか?」、本人に直接聞いてみる、「今の挨拶はよかったよ」、彼曰く、「昔のように早口では話せないが、口をキチンと開いて言葉を発する練習から始めたその成果、それと一時的な記憶喪失の副産物というか、上がり症が直った」、という事であった、同じような時期に2人の同級生がくも膜下出血で倒れる、彼は俺も彼女と同じ事になるはずだったのだが、たまたま倒れたのが仕事中で、消防署の中で、すぐに救急車で病院へ搬送、幸運であった、入院中に髪の毛がすっかりと白髪に、そうやけど贅沢はいえんしなァ、約20年余り前のほぼ同じ頃に同級生の2人がくも膜下出血で倒れて、その2人の明と暗。■「今日の言葉」■ 「 相手の欠点を嫌がるよりも 自分に無い良さに気付こう 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)