『ドストエフスキーとの59の旅』亀山郁夫著 読みました。
作品の読み方は読者に委ねられるべきことであって、訳者が意図的に介入、操作することがあってはならない…と基本思ってますがドストエフスキーのように長大で、難解な作品が相手となると逆にその作品を知り尽くした助け手がいてくれないと、ただがむしゃらに、高い壁をよじ登ろうとしてはずり落ちてしまうことの繰り返し…一冊の本を前にして、敗北感にまみれる…なんてことになりかねない。柊は亀山さんの訳に出会えたからこそ『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』を読みとおす事が出来ました。亀山さんの訳があって、それでもなお難解で読み解けない部分があったから「いつか再読してみたい」という気持ちが心の隅で今もくすぶっています。。そして今、この亀山さんのエッセイを読んだことで、古典新訳文庫から新たに訳されていく『悪霊』に挑戦したい気持ちがふつふつと湧いてきています。『カラマーゾフ…』も『罪と罰』も、最終巻まで揃えてから取り組んだので『悪霊』もまた最終巻が刊行されたあとから取り掛かることになると思います。長い作品だからこそ、間を置きたくない…という気持ちがあります。柊は本を読むことが好きだけれど、一人の作家に自分の仕事、思考、生活のすべてを感化され、傾倒していくというのはどんな感じなんだろう…と想像することしか出来ません。自分にそんなエネルギーがないことが、(或いは才能がないことが)幸せなのか、そうじゃないのかもわからないのだけど。柊はドストエフスキーの作品に登場する人物たちが好きです。彼らが、自身の気持ちを長々と語るときの、激しい感情が好きです。『悪霊』の登場人物にも、魅力的な人間がいるらしいので。今は、早く読んでみたくて仕方がないです。…で、やっぱり亀山さんの訳で、最初は読んでみたいのです。 柊の読書メーターは→こちら