|
カテゴリ:悟り
大学を出たのが昭和57年
入社1年面から電卓ではなくポケットコンピュータを買ってもらった。 身近な計算はプログラムを組んでやっていたら 先輩方でも、「それはいい」と使う人も出てきた。 そんな中、先輩の中の1人は(係長)「そんな早くやったら面白くない」 と なじめません。 そして、3年目から、社内で本格的に業務の電算化の担当で スーパーミニコンという何千万円もするコンピュータを使って 業務の効率化をめざした。 3年かかって完成。 その時もその先輩は、「手でじっくりやったほうがいい」と、なじめません。 電算化で早く業務ができるようになって、 残った時間を楽しようということではないのです。 より良い仕事ができるよう工夫する時間ができるのです。 効率を上げれば上げるほど、良い循環が生まれる。 効率を上げるために、業務の分析をさらに進め 業務の理解度がどんどん増す。 ・・・のように たとえば 食器洗い機ができて、楽になって堕落するわけでなく より豊かな生活を送るための時間ができるということ。 科学の進歩が「人間性損失」ではないと思うのです。 最近、そういう言い方する人もませんが・・・ むしろ、人間的な時間ができるということ・・・・のはずなんですがねー 時間の使い方がわからない?・・・目的がハッキリしない? ということから、世の中乱れてしまって 不便な世の中のほうが、余計なこと考えないで暮らすから 人間的に生きられるという人もいる。 以前の私の税理士さんは、そんな説をとなえていた。 私は残り時間を増やしもっと人間的に使いたい。 それが科学の力で可能となるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月08日 01時08分40秒
コメント(0) | コメントを書く
[悟り] カテゴリの最新記事
|
|