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カテゴリ:こんなのあったらいいなあ
医学の進歩は進み
人間の理論的寿命120歳をだれでも可能にすることに 目標を置いているかのようです。 そのため、内科、外科・・・精神科 総力あげている。 ”だれでも”というのには時間がかかるだろうが、時間の問題だろう。 ガンについて言うと・・・ 私の妻の姉は、長年ガンの研究をする医師で WHO~アメリカの大学で研究しているが エイズよりは先に、治療法は完結しそうだそうだ。 今は組み合わせを解いている物理的作業の時間の問題だそうだ。 そうして病気の治療法は次々わかってきて、長生き可能になる。 ところが、そんな話をしていると 人は「そこまで生きられなくても」という話になる。 事故や元々体の弱い人や感染症などで若くして患う人もいるが、 多くは70歳過ぎたあたりから患う人が圧倒的に多くなる。 そして、そこで踏みとどまれる人。踏みとどまれない人。 もしくはその時期が、幸い無くて、100歳まで生きている人。 なすがままの人生で、運命にゆだねて生きるしかないかのよう。 でも未来社会もそれでいいのか? それは、人生の生き方の未来形とは思えない。 未来は、老人も生き生き生きて、最後まで楽しく暮らせなくては さて それには・・・・ 100~120歳は人ににより誤差があるとして おおむね 皆 100歳の人生計画を考えましょう。 そして、社会的な折り目節目は、ありますが 延々と1本道を進むと 最後、判断力の鈍る頃に やっと自由になって「終わり」を意識するしかない 状況になってしまいます。 そこで 「人生を半分に仕切り」 ます。 前半を50~55歳で仕切ります。 これは、自らの自らの為の挑戦の時期です。 元気だからそれができます。 そして、後半は、自らの自らの為の挑戦はやめて 「人のため、社会のため」に生きようとする人生への転換です。 50~55歳までに与えられた物を、お返しする人生で 「お返しには同じだけ時間がかかる」と考えれば、 その後途中で死ぬわけにはいきません。 それで100歳まで生きられる。 という論理です。 一見、人生訓のような論理ですが 自らの肉体へのお返し、つまり労わりでもあり 自らの行ってきたことへの反省と償いの日々にもなり 世の中を作ってきた 前半と 世の中を助ける 後半 ということで、生きがいとすることです。 ・・・あれ、まだ人生訓のようですが・・・ ”だれもが120歳の寿命”には 「人生を半分に仕切る」ということが必要であると思うのです。 それは 新たな違う道ではなく 今までたどって来た道を 掃除していく ということでもある・・・まだ人生訓のようだな 「過去を振り返らない」ではなく、振り返ろう。 生きている間に、解決しておこう。ドラマのハッピーエンドのように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月19日 01時07分59秒
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