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テーマ:暮らしを楽しむ(388230)
カテゴリ:考え直す
突然ですが「愛」について
・・・なにやら、世の中が大変なことになっていきそうな雰囲気なので・・・ 人間の本質的な部分で、確信を持っておれば、何が起きても立ち直れるから、考えておこう 「愛」というのは、相手を思う気持ちが強すぎると 相手からの反応を求め、それが愛を欲することにもなりかねません。 (見返りを求める・・・奪う愛) それが、悪い現象を起してしるようにも見えます。 相手を思う心が一致すれば、まさに愛の本来の美しさが花開きます。 しかし、そうなることのほうが少なく、愛は苦しいものになっているかのようにも感じます。 そこで、私は、執着にならないために「愛」という言葉を、「思いやり」と置き換えて 考えてきました。 それは、自分の精神衛生上は良かったかもしれないが、真剣味に欠けているかのよう。 「考えてあげてる」という横柄な感じにもなりかねない。 そこで、思いついた。 もっと愛に近く、その上を行く「慈悲」という言葉。 神様が民に注ぐ愛情のことだが、自分もそれを見習って・・・ 神様は見返りを求めないで、あくまで愛情を注ぎきる。 優しく見守ってくれるだけでも人のためになっている。 人々はというと「愛」という言葉に、つい酔いしれてしまうが 神様方々の発する「慈悲」に見習い、自分達も「愛」から「慈悲」へと 愛を発展させなくてはと考えているところです。 ・・・ちょっと身の回り(親族ではない)に不幸が続き、「思いやり」では 救いようがないことを痛感したので・・・ 何をするでもない。 自分の力では救いきれないことを痛感し、神様の力を借りるしかないから 「慈悲」なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月30日 22時42分19秒
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