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テーマ:暮らしを楽しむ(387649)
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油絵を始めたばかりの人から、有名な画家まで
誰しも花瓶に盛られた花を描いた作品をよく目にします。 ずっと「身近な生き物、植物を描く練習台」なんだろうかと思ってきた。 ワザワザ用意して描いたのか・・・とか そして「これは良い作品だ」となるそのような絵 初心者の描くものとどう違うか 有名な画家が初心者当時描いた物かもしれないし その画家の有名になるまでの軌跡として評価されるとか も 思ったりした。 しかし、10年ぐらい前から見え方が変わった。歳のせいか・・・ 1) その作者にとって、今、目の前にある輝かしい、生き生きとした 美しい花の姿を描き残し、いずれ来る、はかない花の命が尽きても 自分の部屋に残して見続けていたいという欲求。 2) こんなに美しい花、その発するオーラのようなものを 見て感じたままを、自分の筆で表現できるのだろうか? 表現したい願望。 そんなものを感じて そんなものを感じる絵が 「これは良い作品だ」と思えるようになってきた。 皆さんも感じるでしょう 花や植物に水をやる時、その一瞬に ファンーンと花や植物の「喜び波動」 絵を描く人は、咲いている状態を見ているだけでも それを感じて描いている感覚。 そこで、目の前に花は無く、その姿を空想もせず 前述の、どれも考えないで 下に 花らしきものを 簡単に描いてみた。 (自分の心模様を描いてはいる) ゴッホの「ひまわり」は、恋人(ゴウギャンに)花を贈らず、花の絵描いて贈ったが 実物を見た事があるが、花びらを何度も塗りなおしている形跡を感じた。 そこには、もう花そのものへの感動も無い感じがした。 そういう意味では 上の私の絵と同じ・・・ (技術的な話ではありません) そう 思えますかね~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月08日 10時37分22秒
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