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テーマ:暮らしを楽しむ(388228)
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小さい時から、大きくなってさらにリアルに
霊的な体験があったことでか? 本当の自分、周りの現実から逃げ出すのが先か? 厭世的だったから、それが幸いし まあ、まともに生きる事ができたも言える。 そうでなかったら、もっと苦しみ 変な顔にもなっていたであろう。 世間的には、まあ、まともなはずで 厭世的になって、誰かに頼って生きてきたわけでもなく やることはやってのことだ。 心の中が、厭世的なんだ。 逃げて忘却は、知性、理性をも忘却し 「感性のみで生きている」と言われたこともある今日この頃。 それでも やることは やっている。 でも つい 「沖縄で暮らしたい」と 思うのは 煩わしい現実から、 煩わしい煩悩から来る思いの応酬のような会話から 逃げ出したい。聞きたくないという 結局、「厭世的な」自分があるからだ。 でも現実に引き戻される。 引き戻される現実が迫ってくる事以外にも、 「厭世的な」私故に、「周りはこれでいいのだろうか」という心配がもたげる。 それで、帰ってくることもある。 また、最近 以前書いたように お風呂で何十年と 毎日見えていた 菊の御紋 の 花弁が小さく細かくなった。 何かが 変わってきた予兆・・・ これは、人霊や、妖怪が見えているわけではないので サイン 「厭世」でなく、今の現実を続けていいものか 何かの予兆か 違う舞台に立つべきか 行く道を示しているような・・・・ ただ こういう時には 見えるのでなく 見えない道が開けて、さも自然にその道の方へ歩いていく 感じになるはずだ・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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