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テーマ:暮らしを楽しむ(388359)
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過去のこととはいえ・・・・
10年前くらいに現地に住んでいた知人に聞いた話で 現代でも 前回書いたように「村八分」・・・・ その歴史は 「アポリジニを同じ人間と思ってない」 ヤツラである。 西洋人がオーストラリアを「発見」した時は、30万人、言語250、部族数700超 1788年より イギリスに侵略され植民地化 「スポーツハンティングの延長としてアボリジニを殺害」 1828年 「イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された」 これによりアボリジニ人口は90%以上減少。 1876年 多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅した。 ハンティングという惨劇を語り継ぐ者をも残さず姿を消している。 1920年 白人の影響の濃い地域から外れた保護区域に移住させる人種隔離政策。 徹底的な人種差別政策、いわゆる白豪主義をもって、アボリジニへの弾圧政策を続けた。 1869年から公式的には1969年までの間、アボリジニの子供や混血児 (ハーフ・カーストと呼ばれ売春婦として利用される事があった) 親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策が行なわれた。 様々な州法などにより、アボリジニの親権は悉く否定され、 アボリジニの子供も「進んだ文化」の元で立派に育てられるべき という考え方に基づくものと「建前上は」定義されていたが、 実際はアボリジニの文化を絶やしアボリジニの存在自体を消滅させるのが目的。 政府や教会が主導して行なわれたこの政策で子供のおよそ1割が連れ去られ、 彼らの行き先は実際には白人家庭でも寄宿舎でもなく、 強制収容所や孤児院などの隔離施設であった。 そして、隔離施設から保護を放棄されたり、虐待を受けたり、 遺棄された者も少なくはなかった。 結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させることとなった。 もっと いろいろあるが 黒人奴隷の話しよりひどい・・・家畜扱いなのだ・・・くやしい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月08日 18時45分10秒
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