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テーマ:暮らしを楽しむ(388395)
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神社などには神様がいるから参る
神が、姿無きものでもいいから祈る また、お寺などの仏像などの偶像に 神近き人の姿を見ることによって 神を想像できて祈る。 そうして、どうにか神様との対話をしている(どんな宗教でも) それが神との関係であったようだったのだが・・・ 以前書きましたように持論である 「自分の心の奥底にある宇宙が、外界の宇宙とつながっている様」が 全ての人に備わっているのだからと考えて・・・ 目の前にはないものの偶像から神への思いをはせていた時のこと・・・ ビビビビーっと来たー それは 全ての人の心の中に 宇宙とつながるワームホールがあるわけで それを見つけるべく、人の事を見るべし。 他人の中に見るそういうものを見つけようとすることや、 その人自身がそのホール発見への喜びに導いてあげることが 大切なのではないかと思えてきた。 だが 他人の 心の奥底を見抜くのは 並大抵のことではない。 だから、神社に参る、仏像を拝むように 「他人の心の中にあるワームホールに祈る」 そうする事にした。 ”ワームホール”=宇宙であり、神と通ずるものであり これを「人には皆、仏性がある」ともいうのだが いろんな言われ方をするのだが 私は それは 神社、仏像などに相対するものと同じことであると見つけたり。 するとどうでしょう。 道ですれ違う人にへさえ、「ああ神社が歩いておられる」「ありがたい」と 思えて嬉しくなります。 「どこかにワームホールを持っておられるんだな」と人に興味が湧き 人に会うのが楽しみです。 ああ 対面商売をやっておられる方は こういう 心持でやってはいかがでしょう 「お客様は神様です」は まさに こういうことだったのかと思えてならない私・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月18日 04時16分08秒
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