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私は、話の中で、時折、人名や場所などの”具体的”な所を間違って言います。
私の妻は、知識人で、何千冊も本を読んで来た人で、博士なので 出あった27年近く前は、そういう私の適当さを「こんなに腹の立つ人はじめて」と 怒ってばかりいました。 それが、その具体的な部分の間違い部分でない、本筋部分においては 外していない事に、だんだん気づいてきたそうで 細かい事を気にしなくなりました。 私が、その具体的な理解をするようにすればいいのに すいません また、最近 私の仲の良い人で、知識人というくくりでは 私とは相入れようもない人とのつきあいがあります それも、本筋論での付き合いで、何とかなっています 私が自分で言ってもなんですが、結構、対等に話せてます それも、私の名詞的間違いを容認する度量のある人だからでしょうが・・・ ですから 私に会って日の浅い人が、知識豊富な人から私を一見して 27年前の 妻のように 「腹が立ってしょうがない」存在なのでしょう これを 妻と話し合って分析し、反省しました。 妻いわく・・・ 「知識人は、間違った事は言いたくないので、日頃から、間違っていそうなら 話さないでおくとか、すごく自分の発言、文章化に気を使うそうです。 それを、目の前で、間違った事を含んだ発言、文章を平気でする人を許せない。」 という 心理からだそうです。 そうとは知らず すいません そういえば 少なくなったとはいえ 妻が 怒り出すときは 私が 何の根拠も無い事をしゃべりだした時です でも 私は 言ってみて進展するかもしれないのに 何も言わなければ 何も進展しないではないか と反論します それに 根拠が無いといっても 私自身 自信のないことを言っているのではなく そういう 「感じ」がしていて話します この「感じ」が 知識人には 腹立たしいのでしょうね 申し訳ない。 と 思い起こせば こんな私になったのは・・・そうなるべき事件があったので自覚してます その話は 長くなるので また今度。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月28日 03時08分58秒
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