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テーマ:暮らしを楽しむ(388216)
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先日の仕事のミス以来、仕事そのものについて考えている。
亡き父は食堂自営で、借金無くなってからは「仕事を楽しむ」という姿勢で 仕事をしていたのは憶えている。 私も、そろそろ、その当時の父の年齢で、その気持ちの持ち方はわからなくもない。 でも 思い起こせば、父もそうだったが、その意識に入ったぐらいから売上が落ちてたと思う。 私も、会社合併で大きくした会社の重荷からだが、「楽しむ」ことにはしたが 4年間ほぼ同じ売上キープの後は、下降していった。 そして 考えてみると この「楽しむ」が、少し間違っていることに気づいた 仕事は、長年やってきているので、頭を使うとはいえ 「肉体労働と同じく頭脳の筋肉労働」になっている。 手順とか、創意工夫とかは、もうあまりない。 不明点を調べることは多いにせよ、創意工夫ではない。 きっと 仕事の中の 「創意工夫を楽しむ」べきなのだろう。 それが、仕事以外の事を楽しんで、気分転換して 新たな気持ちで仕事に当たる という 意味で「楽しむ」としていたのかもしれません 亡き父も・・・ 今 やっている仕事そのものを 楽しんでない。 専門のソフトウエアーが自動的に答えは出すし・・・・ (そのソフトウエアーの設定ミスに気づかず、書類提出のミスだったのだが) 「仕事そのものを楽しむ」ということもわかったとして 自分の仕事が「好きか」というテーマ もっと崇高な 自分の仕事に「使命感を持っているか」 というテーマ にまで行って 結局 自分の落とし所は 「この仕事は、私の天職である」と思えるかにあるのでしょう 就職して、この仕事を憶えて以来、結婚する頃には、一通り仕事のことがわかって 若いし、エネルギッシュに、「どんどん仕事するぞ」という意識があって どんどん仕事をこなし「楽しい」し 得意先の役所担当者さんにお礼言われると嬉しいし 「公共事業の推進に一役かっている」意識も持てて、「使命感」に近い意識も芽生えていたように思います いろんな資料のページや数字も 頭に入っていて 口からスラスラ出たり いろんなパターンの処理方法に 答える事が出来て 役所の人に 感心されると 「天職ですから」と 答えていたような ・・・そういう意識の時もあったような・・・ が それが 最近ないかも・・・ 経営者として 技術者兼務の23年間 は 技術者としての意識を希薄にしたのか そうして 考えているうちに 今の仕事で「自分の才能を生かし切れているか」というところまで考え悩む 「もっと 自分の才能を生かせて 人々、社会全体のためになって 神の意思にかなう 仕事があるのではないか」 とまで 最近考えたりもする でも 今 目の前にある仕事を進めていくしかない 仕事をしながら これらの意識を変えていくか 次なる行動に出る新たな意識に目覚めさせなければいけない 止まって 考えうのだけは よしておこう 誰かを 不幸にするかもしれないので・・・ 不幸にだけはするまい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月16日 09時56分08秒
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