『ツチヤ教授の哲学講義』土屋賢二
ふだんは週刊文春のエッセイでなじみなのですが哲学の教授ということなので、どんな講義をするのかな~と興味を持って読みました。読了するのにかなり時間がかかった(^^;)途中で何冊も他の本に浮気したり必ずと言っていいほど眠くなったりしましたが読む本がなくなったので、ようやくこれを読み終えたというところでしょうか。それこそ夏休みの読書(?)だね。形而上学の話のところは正直、混乱するところが多かったのですがウィトゲンシュタインの言語ゲームの説明のところはけっこうおもしろかったです。ことばの使い方の問題、説明するということはとても難しいですね。「自分が正直なのかどうか」という問題を立てるのは、本当はおかしいんです。なぜかというと、正直な人間であるか嘘つきであるかは本人が選ぶことができるんですからね。嘘をつかないことをずっと選び続けていれば、その人は正直だということになるし、嘘をつけば嘘つきになるんですね。本人が選ぶものについて、「本当はどっちなのか」と問うのはヘンです。「本当は自分はどんな性格なのか」と問うと、あたかも自分の性格というものがすでにどこかに存在していて、それを探し出すみたいです。ちょうど宝探しのように。でも、実際には正直かどうかはあらかじめ決まっているわけではなくて、その人がいろんな機会に嘘をつくのを選ぶかどうかによって初めて決まるんです。(第9日 言語ゲームで哲学はどう変わるか より)興味を持たれた方は↓こちらにもクリックをよろしくお願いします。