『柿渋染め ウレてます』・・・
という今朝の朝日新聞の記事は、もう読まれましたか?ワタシ自身は少々能天気かなと感じたので、染物業主さん自身のサイトを検索で当たってみました。そしたら、コチラのメルマガのページに目が留まりましたので、お時間のあるときによかったら見てくださいね。まぐまぐ“紙と美 ”より発行者 鎌田敏輝HP「料紙で彩る宮沢賢治とイーハト―ヴ」 「柿渋紙」も主として表具用を意識してつくりましたが、民芸の代表的な色です。 ただ、この色は、つい最近まで下等な色として歴史に刻み込まれてきた経緯があります。 下等な色という云い方は、実は適当ではないでしょう。本来、色に上等も下等もないからです。「柿渋」は下等な身分の標識として使われてきた歴史があるといった方が正確でしょう。 一つだけ例をあげましょう。中世の時代、京都清水坂に「犬神人」(いぬじにん)と呼ばれた人たちが住んでいました。 「犬神人」の本来の仕事は、弓の弦の行商ですが、傍ら神社や墓所の清掃、清水坂に集まる乞食やハンセン病者達の監督などをしていました。そして、「犬神人」はこれらの境遇の人たちと同じように厳しい差別を受けていたのです。当時の権力は、この「犬神人」に柿渋染めの衣を着せたのです。「親鸞絵伝」には、僧侶の後ろに控え、白の覆面をし、柿渋の衣をきた「犬神人」の姿が描かれています。 この、色による差別思想を、芸術の世界から根本的に批判したのが柳宗悦の「民芸思想」であります。 倉敷の大原美術館に所蔵されている、棟方志功の大作『茶韻十二ヶ月のうち・基督』はこの柿渋紙が基調になっている作品で、その表装も当代1,2を争う名品であります。 ※柳宗悦さんの『民藝四十年』はコチラ です。※ワタシ自身、『中世の民衆と芸能』の中の「犬神人」等のupがどうにも未消化で遅れており、本当に申し訳ありません(滝汗)。お詫びの画像はコチラ↓です(苦笑)。