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カテゴリ:グリーフケア
3,4年前の夏になるだろうか?
宮崎駿監督をすぐ間近で見かけた事がある。 スタジオジプリの隣の家にメイクに行ったのだ。 スタジオジプリはその建物自体「そのまんま宮崎ワールド」 外から見る感じでは1Fは「癒し系の喫茶店かな?」と思わせるような和みを感じさせ 「なんか良い雰囲気、入ってみたいな」と感じさせる場所だった。 「ここがジプリか~」なんて感じ入りながら仕事の途中、何かの拍子に外に出ていると 宮崎駿さんが隣のジプリの前をふつ~に歩いておられた。 「うわっ!本物の宮崎駿!!」と驚愕し 「どーしよー握手してもらいたい!でも仕事中だし、隣の家の不幸で来た納棺師が不謹慎すぎるかもしれないし、ハヤオにも失礼だと思われるかもしれないし・・・」 と【世界の宮崎】をガン見しながら混乱している間にジプリの中に入って行ってしまった。 (たぶん少しぐらいは目があったとは思う) あの夏から私は一生の後悔を抱えてしまったと言える。 私がメイクを行ったご葬儀はそこそこな規模のお葬儀でジプリからも供花が出されていた。 個人の一生の思い出となる経験値をあげる為に、職務を犠牲にしていいのかどうか? 私は未だ答えが出せず、あの時握手の一つお願いできなかった事を後悔し続けている。 ------------------------------------------------------------ 宮崎駿監督の引退会見を感慨深く見ていた方も沢山おられるだろう。 現在公開中の「風立ちぬ」 まだ観ていないし、評判は賛否両論で庵野監督の吹き替えに違和感を感じそうで二の足を踏んでいたが やはり会見を見て「観に行こうか」と気持ちが揺さぶられた(単純か?) 宮崎駿監督:子供たちに「この世は生きるに値するんだ」 ということを伝えるのが根幹にあると思ってやってきました。 「そんなにかっこいいことは言えません」 とも言われたが充分にカッコよく、重みのある言葉だと思う。 ナチス強制収容所に収監されていた V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う」と 共通する思いがあると感じ取れるからだ。 宮崎駿と言う人が、この世に生まれ何を経験し感じ、何に対して怒り憤ったか? そして何を思いながら生きていけば「生きるに値する」と感じ取れるのか? ナウシカに始まり風立ちぬで長編映画作りは終えるのは体力的限界ももちろん理由にあるのは確かだろうが、生涯をかけ伝えたかった事を「一応は伝えられた」そのゴールにたどり着けたからではないかと私は思える。 なぜならこれまでの作品の流れが全て 【宮崎駿と言う人自身の生涯をかけたグリーフケアだとも思えるからだ。】 ------------------------------------------------------------ 私は宮崎駿監督の子供世代にあたる。 正直ジプリの作品全て好きな訳じゃないし先日のラピュタの「バルス祭り2013」はネットで見て面白がっているクチだ それでも今回の引退会見に感情が揺さぶられるのは、やはりこの仕事をしてきたからと自身の親の世代からの影響があると思う。 私のお客様になる世代は多くは高齢者であり、私の親自身70をとうに越えた高齢者で父は何回も死にかけている。 親と祖父母の関係、親の生き方そして親と自分に対する教育やその関係 こちらがじきにオムツを取り替える事になるからこそ見えてくる、親と言う人の未完成さやその人生全てを肯定できない事実があるのも知る年頃だ。 親の人生や人格を部分的にでも否定したくなる問題の根源…それはその人格だけに問題があるのか?という点にたどり着いた。 もしかしたら「そうなってしまった環境や状況にあった上での今ではないか?」 人は日頃、意識していないものに自分が思っている以上に影響を受けている。 「~が流行っている」となるとそれが本当かどうかもわからないのに、便乗し本当の流行となる事もある。 小さな噂や情報で一喜一憂し、いつの間にか誰かが作った時代の風潮に流されている。 その最も恐ろしい影響がもちろん戦争や紛争だと思う。 子供の時に聞かされた、親が子供の頃の戦争体験は「ほたるの墓」の主人公と同じ世代なのだろう。 貧しく苦しく食べるものもなく、子供なのに母親(祖母)とヨイトマケ的な仕事に働きに出た事や、野良猫まで捕まえて食べたとも聞いた。 親からはその苦渋は一生消える事はなく、おかげで生命力は強く感じる人達になっている。 が、最近では「毒親」という言葉もある通りやはり生き抜いた自信からか? 一方的主張や指南が多すぎる為、世間に出て逆に苦労する事もあった為「友達親子」という世代が出て私は大変驚いたものだ。 子供心ながらそんな痛々しい話を聞きたくなく「昔の話を蒸し返すな」と幼くても付き返したものだ。 ある日、私と父しかいない夜テレビで「懐メロ特集」があり なぜか軍歌を歌手が歌っていた。 私はイヤな気分になったと同時にものすごくショックを受けた。 日頃、冗談の一つも言えない何を考えているか分からない父がソレを口ずさみテレビと共に歌っていたから…。 「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」 ソファーに寝そべりながら表情を見る事はできなかったが、理解もできずそしてなぜか近づいてはいけないような気がして歌う父を背後から茫然と見ていた。 後半に続く・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月08日 18時41分40秒
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