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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:大好きな人たち
ヒロパパは、なかなか厳しい人でした。
「本物」しか認めない人でした。 私は自分の仕事について、たまに実家に帰るとヒロパパに尋ねられることがありましたが、いつも「ふ~ん、そうか」でおしまいでした。 「いつかヒロパパに認められたい」・・・私はいつの頃からか、心のどこかでそんなことを思いながら頑張ってきたような気がします。 ある日、義父が亡くなりました。それはあまりにも突然の死でした。 (まだ、何一つ親孝行できていないのに・・・) もう何年も帰れずにいた雪深い山形へ向かう電車の中で、私も主人も呆然としていました。 主人の実家には、たくさんの人が集まっていました。近所の奥さんたちがみんなで食事を作り(葬儀の時に作る伝統料理があるのです)、死に装束を一針一針、みんなで手縫いをしながら準備します。少し前までは(火葬するための)藁を各家で出し合ったりしていたと聞き、「みんなで心を込めて送り出す」という、私が知っている葬儀屋さんの葬儀とは違う、「手作りの温もり」が心に沁みました。 私は「長男の嫁」なのに、ことば(方言)も習慣もわからず、おろおろしながらも、ただもうみんなの迷惑にならないよう、一生懸命にお手伝いするしかありませんでした。義父には心の中で(お義父さん、ごめんなさい!)を言い続けていました。 そんな中、浜松からヒロパパが駆けつけてくれました。気がつくと、お酒を酌み交わす親戚たちの真ん中で、ヒロパパが豪快にしゃべる姿が目にうつりました。ことばもわからないその中で、ヒロパパがみんなにお酌を続けていたのは、決して営業で接待に慣れていたからではなく、「義父を送る」という一大事に直面しているというのに、あまりにも情けない娘(私)の力不足を懸命に補ってくれているように思えました。 親のありがたさに涙が溢れました☆ 葬儀を無事終え、ヒロパパを駅まで送り、別れ際に、 「お父さん、ありがとう」 と言った私に、ヒロパパは一言、 「よくやった!」 と、言ってくれました。 それは、本当に思いがけないことばでした。 私がヒロパパに認めてもらえたのは、このときが最初で最後でした。 (来週29日は、大好きだった故・ヒロパパの誕生日です♪) ひなたまさみ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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