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テーマ:海外生活(7775)
カテゴリ:大好きな人たち
一通の手紙。
ほんの数日前に届いた、一通の手紙。 差出人は母の高校時代の同級生Kさん。 母とは同じ中学から同じ高校へ進み、とても親しい間柄だったそうです。 50年前に北朝鮮へ渡ったKさんは、30年後に高校の同窓会宛てに一通の手紙を出されました。 その手紙は、海を越え、20年という長い年月を経て、ようやく手元に届きました。 「突然のお便り誠に失礼ですが、お許し下さい。 思ひ掛けない所から手紙を受け取りまして、さぞびっくりされたと思ひます」 そんな書き出しで始まっている便箋2枚の手紙。 「同級生の皆様は、私のことなどもうとっくに忘れていらっしゃるとは思ひますが、 私は、全然、反対に、年取って行くにしたがって、三津田ヶ丘がなつかしく、お友だちが恋しくてたまらないんです。 時ある毎に、アルバム、そしてサインブックなど取り出して、回想にふけったり、 又は三津田ヶ讃歌とか生徒歌など口ずさんだりして、涙ぐんだりしています。」 Kさんが、いかに学生時代や母校を懐かしく思われているのかが、痛いほど、切なく伝わってきます。 「帰国当時は、もうすぐ我が国も統一できると思ひましたし、 そうしたら、私も数年後は、日本を訪れることも、同窓会にも参加できるものだとばかり信じて居りました。 でも、世界状勢は日毎に複雑になるばかりで、 もう、おそらく、 私が三津田を訪れることも、お友達に会うその日も、来ないと思ひます。 今はもう、せめて、文通でも出来たら、と云うのが、私の精一杯の望みです。 以上の様な次第で、第○期卒業生で、当時の姓名、江口津矢子、○○さんの、現住所とお名前を知りたくて、お願ひしたいんです。」 Kさんのすがるような思いが、心に刺さります。 伯母の話によると、10年ほど前に何かの話の折にも母は、 「北朝鮮へ帰られたKさんは、どうしよってかねぇ? 元気でおってじゃろうか?」 と、気に掛けていたそうです。 慌てて母の古いアルバムを開く私。 あった 仲良しグループ3名の紹介の中に、確かにKさんの写真と名前が…。 母と2人、笑顔で写っているものもあります。 お母さん、ほんまにこの人と仲が良かったんじゃね。 まだ朝鮮の人への差別がひどかったこの時代に、 お母さんにも「国」じゃない、「人」が見えとったんじゃね。 それはこれまで私の知らなかった、母のひとつの側面の発見でもありました。 ああ、この手紙を、生きているうちに母に読ませてあげたかった。 Kさんは、この手紙を書かれてから、母からの返事を首を長くして待たれたことでしょう。 無情に流れてしまった20年という月日が悔やまれてなりません。 果たして、Kさんは現在もご健在でしょうか? 北朝鮮。 国交の閉ざされた、近くて遠い国。 これまで私はその国の人と一人も出会うことなく生きてきました。 私はいてもたってもいられなくなり、添付されていたメモを頼りに、数名に電話をしてみたり、朝鮮総連に問い合わせをしてみたり… 「あなたは日本人ですか?」 「はい」 「まるまる日本人?」 「そうです」 「ほぉ~…」 これまでしたことのないようなやり取りを繰り返すうち、私自身が数十年前にタイムスリップしたような、不思議な気持ちになりました。 私一人では、まったく、どうすることもできない、重くて暗いものを確かに感じながら、それでも母とKさんのために今、自分ができることがないか?を夢中で捜し始めました。 Kさんに、手紙を書こうと思っています。 母がKさんのことを大切なお友だちとして、ずっと憶えていたこと。 時にKさんを思い出し、Kさんの身を案じていたこと。 そして、70歳の誕生日に、その生涯を閉じたこと。 もしも可能なら、母が書き遺してくれた、Kさんにとっても懐かしいはずの昔の思い出がいっぱい詰まっている『とうせんばと私』を添えて…。 どうかKさんが生きているうちに、その手紙がKさんの元に届きますように… ひなたまさみ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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