我々は記号でも素材でもない。
Webの本質が、いよいよ生活日常の周辺に露呈してくる。1週間ほどまえに、グループたんぽぽのたねが、独自に収録したYoutubeの動画を郡山ハルジ氏が英語字幕をつけてくださった。数年来、ブログでお馴染みの「向こう三軒両隣」という感がある。このあたりまでは、まずまず順風な印象があるが,,,そのあとが、驚くことの連続だ。Youtubeを通じて海外で米澤氏を知った人が、地球の裏からご自身の動機に合致したWEBコンテンツとして編成してくださる(してみたい)というのだ。いわく、現地の子供たちと米澤氏とのあいだでインタビューをライブで実行したい。現地時間にあわせて、日本時間の夜20時に交信できる設営を実行可能なスタッフがいれば、用意して欲しい。直接、米澤鐵志氏とコンタクトしてもよいだろうか?エトセトラ言うまでもなく、米澤鐵志氏は我々の「私物」ではない。海外の方がご希望を実現するとなれば、相当な費用は生じるはず。希望は実現するかもしれない。実現する可能性はゼロとは言わない。すべてが事もなげに進行するのならば、実現するのかもしれない。氏も、限界にちかい寛容さで、対処されるかもしれない。だが、配信した側の我々はその方の声も顔も背景も一切存じあげない。分かっているのは、きわめて荒っぽいオファーの中身だけである。今日、611にも全国でイベントが企画されていると思う。それぞれの地域には、それぞれの地域で最適化された流儀や構成が発生している。そこへ、どこぞの企業や政治家から資金を調達している特定動画配信コンテンツをおしなべて一様に東京に吸収しようと画策している一群の人たちがいる。視野閉塞な自称フリージャーナリストたちが、スポンサーやらクライアントの最大利益にWEB利用者を「最適化」しようと腐心している。はっきり申し上げて、東京でデモなどに参加しているぐらいならば可能な限り早く遠くにお逃げなさい。すでに関東は、山本太郎に言わせれば例外なく「高濃度汚染地帯」もしくはその前段に進みつつある。雨の中をライブ中継で動画配信して、孫正義の会社製品の売上を更新するという、さもしい目論見の使徒となり日本中に電話をかけまくっているこの瞬間にも、東京には放射能の雨が降っている。足下をよくよく凝視するべきではないだろうか。また、顧みて自分たちの活動に反省もある。人は記号でも素材でもない。米澤 鐵志 原子爆弾 被爆体験講話 2011-6-3グループたんぽぽのたね が広島原爆被曝体験者の貴重なお話を独自にYouTube収録しました。