放射能など少しも怖くないから 不思議
実は、87年に目一杯気が滅入るような体験をしたので今の災害規模の大きさについては瞠目しつつも、すでに達観している面がある。恐怖感というのは、無いわけではないがこの世の終わりのような思いがしたのはやはりケネディ大統領存命のキューバ危機の時代のほうが熾烈だったのではないだろうか。あの時代をくぐっている人は、この問題の本質が複眼でみえているはずなのだ。食える時代をつくるために、核に手を出したという側面がこの国には確かにあった。食えるようになった人たちが、放射能を恐れるのは身勝手だという気持ち。これは、小出裕章氏の論旨にはかならず含まれている。これが、ちょっと眩しいわけなのである。大阪で25年前に、小出裕章氏の話を聞いた時には目眩がした。意見が、あまりにも高踏で俗物の自分はまぶしすぎたのである。自分は、むしろ孫娘を岡山に逃がした広瀬隆の怯え方に共感がある。そういう俗物も、好き放題に過ごした25年を経過すると勝手に錆びてくる。まあ、いい事が色々あったなと思っていると放射能など少しも怖くないから不思議である。