偏らずに成長するために、、、
内村鑑三の唱えた「無教会」に興味がわいてきました。家内と「霊的指導者」という話題で一晩明かして出て来た回答です。言うまでもなく弟子や影響を受けた人物はそうそうたる面々が多く、明治天皇も聖書講義を受けた一人ですが、その中のひとり矢内原忠夫(東京帝大総長歴任)の書いた「無教会」を説くくだりはボクと家内には非常にマッチすることを発見しました。これは 我々夫婦が同時に救われた場所が上海で、制度教会に所属しているわけでもなければ、常駐している牧者がいない、という意味で上記の「無教会」の中での信仰態度に計らずも一致しているためでしょう。とは言え、まだ知ったばかりのにわか知識ばかりなので、徐々に学んでいきたいです。「無教会」をリードしてきた人物の中に「斉藤宗次郎」がおります。内村鑑三の最期をみとった高弟で、宮沢賢治の「雨にもマケズ」の最後「そういふ人にワタシもなりたい」のそういう人がこの斉藤宗次郎だと言われています。近代日本史に触れてみると、社会運動の中に必ずキリスト者が大きなクサビを打ち込めていることがよくわかります。サクラメントを重要視しない無教会派であっても、洗礼は授けていたことがわかります。しかし、何はともかく主イエスの前に内村鑑三を置いてしまっては「内村教」になってしまうので、気をつけなさい、と家内に注意を受けました。ところで オノヨーコのお祖父さんが日銀総裁だった、ということは 新島譲(同志社創始者)を 調べているうちに知りました。新島譲本人が洗礼を授けていた、のだそうです。信仰の種というのは、先祖にその萌芽がある、ような気がしています。何代前の先祖がそのタネを蒔かれていたところも知らずしてあるかもしれません。